2023年06月30日

【薙刀式】どこまでが自分という感覚か

たぶんピアニストは、
10本の指が全て自分の化身であるように、
鍛えるのだろう。
タイパーも同じくだと思う。

その訓練を経ていない僕はそうじゃない。
100%自分だと思うのは、
右手人差し指だけかなあ。


左小指から順に、自分の感覚に近いかを書くと。

5
1
20
40
40

70
100
80
70
30

くらいの感じ。
速度とか正確性とかスペックになる部分は置いといて、
自分の続きか、という感覚としてね。
100から下がれば下がるほど、隔靴掻痒ということ。

たぶん右薬指より左人差し指のほうが、
結果的には早く強く動くけど、
神経が通ってるのは右薬指だな。

これは僕の主観だから、
他の人は全然違うかもしれない。
幼少期にタイピングを練習したことがあれば、
もっと左手は動くかもしれない。
だけど右利きで手書き文字や絵を描いてきた僕の人生では、
右手しか自分の意思を伝えられないと思う。

あるいは、右手人差し指すら70で、
あとは50以下みたいな人がいるとして、
口なら100、という人は音声入力が向いてるかもね。


僕のこの手のスペックでは、
qwertyローマ字は無理だなと、
改めて理解する。
一番使うAを自分の意思の1/20しか伝えられない指で、
押す気がしない。
自分の意思や言葉じゃなくなると思う。

逆に、心にもないことを書くとしたら、
qwertyローマ字のほうが心が痛まないかも知れない。
心にもない謝罪文とかね。


この「自分の言葉で書いてる気がしない」
という感覚は、
文字書きくらいしか分からない感覚なのかな。
それとも共有できるのかな。
「自分の言葉で書いている感覚」というものは、
文字書き特有の感覚なのだろうか。

たとえばスポーツ選手なら、
自分の身体を100%使う感覚があると思う。
文字を書くのもそんな感じだと想像する。

僕は左手には、自分という感覚が半分以下しかない。


合理的に考えれば、
「まあ動くから押せばいいじゃん、
一本指でタイピングするより合理的でしょ」
というのはわかる。

でもだからといって、
自分の延長でやってない感覚というのは、
とても違和感が強い。
違和感というのは拷問で、
僕はqwertyという拷問を受け続けてきた。



薙刀式は、
自分の感覚と合理的な手指の使い方の、
完全なる融合を目指した配列だ。

だからこれこそ自分の感覚を表せる、
もっとも感覚の近い配列、
といえる。

他にもっと合理的な配列があったとしても、
僕の意思から離れる配列は、
僕は使ってて嘘をついてることになると思う。

合理を尊ぶ人ならばそれで納得するかもしれないが、
言葉は合理だけじゃないからねえ。


なんで薙刀式は自分にしっくり来るんだろう、
ということを言葉にしてみた。

自分の意思に近い言葉を構成するカナが、
指の自分度に比例して並べてあるから、
という答えを導きたくて、
整理してみた。

アルペジオや拗音同時押しなどの、
合理的な運指法だけでなく、
そもそも自分の意思を反映しやすい指使いが、
薙刀式にはあり、
それがしっくり来る人には使いやすいと思う。

逆に、
僕の手のスペックよりも、
左手が良く語る人や、
右手の他の指があんまり、という人は、
薙刀式はしっくり来ないかも知れない。

それって触ってみないと分からない感覚で、
言葉にしづらい感覚的なところだよね。



昨日分析した、
漢字を除いた頻出ひらがなの配置を見て、
新下駄、シン蜂蜜小梅、月、親指シフトは自分に合わないなあ、
薙刀式、飛鳥、新JISは合うなあ、
という感覚はなんだろう、
と考えてこんなところに辿り着いた。

指の自分という感覚、
ひらがなの自分の思考につながる感覚、
合理でない直感的な部分が、
先の表にはよく表れている気がする。
posted by おおおかとしひこ at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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