「武士が人を切る音」は、
実際どんな音なん?
多分誰も聞いたことがないよね。
「あー、そうそう、
時代劇でついてるあの音さー、
全然リアルじゃないよね。
人を切った時にあんな音しねえよ」
っていう人はまあいないだろう。
でもそれは了解事項としてみんな理解している。
勝新太郎は「座頭市」のときに、
それを覆そうとして、
割とリアルな肉切りの音を入れたそうだ。
でも「わかりにくい」「爽快感がない」
として不評だった記憶がある。
つまり。
リアルを見ることでがっかりすることがある。
「きっとこうなんだろうな」という、
「知らない人の期待」がある、
ということだ。
刀で人を切ることは、
分かりやすく、爽快でなければならないと、
リアルを見れば分かるわけ。
これは、
嘘をつく時の基本である。
まずリアルを知らない時に、
期待をする。
そしてリアルを知った時に、
がっかりする。
そしてリアルを表現してみる。
リアルだけどがっかりする。
そして、
それを知った上で嘘をつく。
リアルを知らない人が期待しつつ、
リアルを知ってる人も納得するものをだ。
刀で人を切る音は、
白菜を包丁で切る音に、
肉を叩く音を混ぜて作るらしい。
白菜は派手なバサッとかスザッ、
肉はリアルなグチュッとかブチャッて音が鳴り、
適度に混ざると、
「期待するもの」と「リアル」の間になるのだろう。
で、
恐らくだけど、
日本刀で人斬っても音しないよね。
カッターで指切った時に音しないもんな。
ブシュッとかザクって言わないと思うんだ。
刀を振る音、ブンッくらい言って、
骨にゴンって当たる音くらいはするだろうけど、
肉の切れる音なんてほぼないだろう。
チャンバラのブシュッとかは、
かなり嘘だよね。
でも気持ちいい。
リアルだけだと、
がっかりするクソリアルにしかならない。
「それがリアルなのだ、
現実とはいかに厳しいものか」
というテーマならばそれもいいだろう。
セックスは期待したほど良くなかったよね。
そのがっかりを描くことはよくモチーフに出てくる。
だけどその先そのがっかりを描いて、
何をしたいかなんだよね。
女は幻想ほど良くないのはわかったが、
じゃあ「がっかり」がテーマなのかい?
日本がっかり三大観光地、
高知のはりまや橋や女や人を切る音を並べて、
「現実はつまらない」と言いたいのかい?
そのテーマになるほどそうだと感心して、
2000円払う人いるのかな?
30年前に比べて、
たとえばハリウッド映画の銃の音は、
とてもリアルになっていると思う。
バキューン!って漫画みたいな音じゃなくて、
ぱんって乾いた、あまりにも呆気ない音に、
どんどん近づいている。
僕が初めてカリフォルニアの射撃場で銃を撃った時、
そのあまりの呆気なさにびっくりした記憶がある。
火薬のロケットのおもちゃがあったけど、
あれと変わらんやんと、リアル火薬の音で思った。
だからこそ、銃は怖いと感じた。
威力があるから怖いのではなくて、
あっけなく人を殺せる、殺意の軽さが怖いと思った。
だからハリウッド映画は、
「恨みをためて人を遂に殺す、必殺の一撃」ではなくて、
「死ねと思った瞬間瞬きで殺せる」という方向に、
銃を扱うようになっている。
「だからこそ厳重に管理すべき」ということから、
「殺意は管理するべき」ということにもなっていると思う。
リアルが表現や思想をも変えていると思うわけ。
だから逆に、バキューンなんて漫画みたいな音がすると、
「ああ、昔ながらの、角を矯めて牛を殺すような、
恨みの恨みの果ての物語だと思ってくださいってことね」
と人は理解して、その感情のみを楽しむようになる。
リアルが表現を成熟させた例である。
さて、
あなたの物語はどうなんだ?
武士が人を切る音なのかい?
座頭市のようなヘボ音なのかい?
ハリウッドの銃の音かい?
バキューンって感じかい?
リアリティのないヘボ世界ではなく、
クソリアルに堕すことなく、
表現としての立ち位置を決めてるかい?
気づかずにいることだけが恥ずかしい。
自覚していれば、
そこにそうやって立つことに、
誇りを持つだろうからね。
「安心してください、履いてますよ」は、
とても馬鹿馬鹿しい。
しかしそれを自覚してやっている安村は、
尊敬すべき表現者である。
「あのリアリティライン」を創作したのだから。
2023年08月14日
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