2023年07月17日

【薙刀式】配列でものを考えること

僕は、
qwertyローマ字は日本語を書くための配列としては、
最低レベルの出来だと思っている。
なんらかの新配列は、すべてこれより出来がいい、
といってもいいくらい。

たとえば「だと考えられる」という、
日本語でよく出るフレーズについて考えよう。


多くの日本語母語の人は、
これをワンフレーズとして扱うだろう。

出来れば「だと考えられる」ボタンがついてて、
それを一個押すだけで全部出れば最高だろう。

手書きならばそれが出来る。
達筆で、サラサラと一連のミミズ文字を書くことが可能だ。

達筆でありさえすれば、
「だと考えられる」というワンフレーズと、
手の運動のワンフレーズは、
一対一対応をしている。
多少下手な文字だとしても、
手書きで書き慣れた人ならば、
一対一対応という続け文字の感覚はわかると思う。


キーボードはこうはいかない。
「だと考えられる」ボタンをつけると、
あらゆるボタンが必要になるので現実的ではなく、
便宜上、ブロック体に分解した、
一文字一文字を打つことになる。
これが活版印刷の原理だ。

キーボードは、
本来一筆書きであった一概念一曲線を、
活版印刷の原理を用いて、
「便宜上」複数の点をつないだ一筆書きに、
改めた道具である。

手書きの曲線は、
本来の字形を崩して、
手が書きやすい曲線に改めたものだ。

ところがキーボードの運指曲線
(折れ線をつないだものを運指するから、
高速化すればするほどアナログな曲線になるだろう)
は、手が書きやすい曲線には、
必ずしもなっていない。
あくまで便宜上、だからね。


qwertyローマ字を考えよう。

「だとかんがえられる」の、
datokangaerareruの17文字を、
スムーズな曲線で、
指がもつれずに一気に書ける人は、
とても少ないと思う。

そもそもブラインドタッチ率が30%だ。
その中でもこれをスムーズに打てる人はかなりの上級者で、
ブラインドタッチでqwertyを打てる人の中で1/3としよう。
日本人全体で、
「だと考えられる」と一気にキーボードで打てる人は、
10%程度しかいない。

手書きならば、多少下手で遅かったとしても、
100%の人が「だと考えられる」を一気書きできる。
少なめに見積っても50%は書けると思う。
しかしqwertyはそうではない。

ここに、qwertyローマ字が、
日本語を打つのに向いてない批判点がある。


薙刀式はどうか。
【】をセンターシフト、()を同時とすると、

(FN)DF,(FJ)【O】./I

と9アクションである。
ゆっくり打ってみればわかるが、
これを一気に一筆書きしやすいだろうことは、
想像できると思う。

実際薙刀式に慣れればこれは一瞬だ。
すぐに2〜3秒で一気に打てるようになると思う。


薙刀式の優位点は、
このような「日本語としてよく使うフレーズ」が、
多数指の繋がりが良く、
「一つの概念として一連の指使いで打てる」
を、かなりの言葉で実現しているところにある。

それらは枚挙にいとまがないため、
あえて一つの「だと考えられる」で比較してみた。


もちろん、
qwertyにも得意ワードはあろう。
しかしそれが日本語でよく使うフレーズだろうか?
マイナー語だったり、
特殊な言い回しだけが速かったりするのでは?
(僕はqwertyを極めていないため、
こんなによく使うフレーズが楽で速いです、
の例があったら教えていただきたい)

一方薙刀式は、
よく使うフレーズごといい指の運指単位になっていて、
それらを自動化すれば、
それらをつなぎ合わせるだけで文章になる。

フレーズと運指単位の一致、
とでも呼んでおこうか。



もちろんこれは薙刀式唯一の特徴ではなく、
僕が影響を受けた飛鳥配列でも、
色濃くある特徴だと思う。
もちろん新下駄にも多数あろう。

だけどこんなことを考えているのは、
これくらいの少数派配列であるように見える。
(不勉強なので、○○配列は似たようなこと考えてるぜ、
があったら教えて欲しいです)

薙刀式を使うと、
手の運動単位が、思考の単位と一致しやすい。
だから、
手を動かしながら考えられる。


これは手書きの時は当たり前だった感覚だ。

しかしqwertyを便宜上使う上で、
忘れられた(失われた)感覚ではないだろうか?
(もちろん一部の上級者は、
手の運動単位と、思考単位をシンクロさせられるかも知れない。
しかしそれは余程の上級者だと思う)


薙刀式は、初級者の頃からこれを意識する。

たとえば初級者の頃は、
「だと(FN)D」「かんF,」「がえ(FJ)【O】」「られる./I」
のような、4ブロックに分けて打つことが多いだろう。
それはまだ2連接くらいが限界だからだ。

しかし「だと」「られる」なんかは、
日本語によく出るフレーズであり、
それらのパーツを一連で打つことを、
最初から意識できるわけ。

これが中級者になると、
「だと」「かんがえ」「られる」
と、文節単位で手の動きがまとまるようになってくる。

一概念一筆書きではないにせよ、
文節単位で手が動くので楽になる。

上級者になれば、
「だとかんがえられる」は一筆書きできる。

もちろん、
薙刀式を始めた全員が上級者になることは、
想定していない。
だけど使ってるうちに気持ちいいもんだから、
大体誰もが中級者になれると考えている。

ここまで来ればしめたもので、
あとは文節がつながりやすいところは、
自動化してくると思う。


qwertyの運指単位は?

da to kan gae rare ruの6単位くらいから?
datokan gae rareruがせいぜい?

ここで、kanとgaeが繋がってないのが、
僕は大変嫌い。
運指の途切れの都合が、
概念の単位と異なる。
これが「便宜上」の罪の部分だ。


dato kangae rareru
と文節通り打つことも不可能ではないが、
これが最適な指の運指単位とは、
少なくともqwertyに関しては思えない。


これが、
僕が言いたい、
「qwertyは日本語を書くのに向いてない」
の根本的な部分だ。

「だと考えられる」を例にしたが、
その他のよく使うフレーズも、
同様の傾向がある。

qwertyがある程度打てる人ほど、
薙刀式がよくできてることに気づくかな。

qwertyで困ってない人は別に止めないさ。
そのまま使い続ければいい。

だけどqwertyローマ字は、
考えながら書く配列では、
原理的にないと僕は思う。


キー部で話したもりやんさん:
> 毎回大岡俊彦さんには多くの課題をもらってるんだけど、「ローマ字入力で文章なんか考えられない」というのは今回一番のやつかもしれない。俺がスマホでスキマ時間執筆しないのってそういう理由なんだけど、じゃあローマ字入力は文章作るのに充分な直結性を持ってるのかっつうね。

おそらくスマホでの執筆が苦手で、
僕にとってのqwertyぐらい苦痛なのかもだ。
もりやんさんは、
キーボードでのqwertyローマ字がメインらしいが、
それで日本語を考えられないよーと僕は話していた。

自分の言葉に一致してない感じを強く感じてて、
理屈でいうと上のようなことを考えている。



たとえば上の文章でいうと、
以下の部分は一気に一筆書きしている。


おそらく   での執筆が苦手で、
僕にとっての   ぐらい  なのかもだ。
    さんは、
キーボードでの   ローマ字がメインらしいが、
それで日本語を考えられない  と僕は話していた。

自分の言葉に一致してない 感じを  感じてて、
理屈でいうと のようなことを考えている。


これらが一筆書きできるスキルがあれば、
「手で考える」感覚になるのは想像できると思う。
posted by おおおかとしひこ at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック