2023年07月19日

俺はこれのここを面白いと思うんだ

というのが芯になる。
さて、それはガワか中身か?
ってことなんだよな。


ガワを面白いと思っているなら、
それはストーリーになる意味がない。

写真、絵、設定集、コスプレ、
そんなものの方が出来が良くなる。
それをやった方が、
そのガワにとって最も適切な出口になる。


中身を面白いと思うならば、
それも点でなくて線で考えるべきだ。

たとえば、「母に再会する場面が面白いと思う」
ではまだ点だろう。
「母に再会する場面」自体は、
古今東西どんな物語でも存在するので、
その物語ではじめて「母に再会する」
が描かれていない限り価値がない。
つまり、どこかでみた場面ということだ。

「記憶喪失になった主人公が、
母と再会する場面で記憶を取り戻す場面」
ならば、
あまりなさそうなのでオリジナリティがありそうだ。
そして線になっている。

ただしそれが「面白い」まで来ているかは、
これだけではわからない。

「記憶喪失になった主人公が、
母に再会して、母の鼻歌で子供の頃の記憶が蘇る場面」
なら、話はもっと具体的になり、
「ふむ、それは面白いかもしれない」
となると思う。

なぜなら、
面白さはディテールに宿るからだ。
きっとその歌のディテールも良いのだろう。

泣ける歌でなくて、
子供の頃の自分が作った曲「うんこぶりぶり」かもしれない。
「うんこぶりぶりぶー」というサビで、
母に再会したことがわかり、
記憶が取り戻される場面、
なんてまでディテールを描写できれば、
「それは面白そうだ」
まで来ると思う。
歌詞は笑えるのに場面は泣けるんだぜ。

これは何かしらの新しい感情であり、
しかも気持ちよく感動できそうだ。

すなわち「同じものだが、
違うものをもってこい」に応えていることが、
これだけでわかる。

これが、芯だと僕は思う。


ChatGPTが作るストーリーにはこれがない。

新しいガワ(これはランダムなジェネレート機能が持つ、
新しいマリアージュ)を作ることが出来、
それらをアイテムとした、
平凡な中身のストーリーは書ける。

しかしそれが何の意味があるのかや、
なぜそれになったのかの腹落ちする部分がない。

それは、平凡なプロットという骨格と、
ランダムジェネレートのガワという組み合わせの、
ChatGPTの構造そのものだからだ。

ある面白い芯を作り込み、
それが成立するようなプロットを逆算で組み、
ツカミをして、同時に伏線を張り、
感情移入をつくりあげて、
意外な展開を持ってきて興味を抱かせ、
独自の世界観に引き込んでゆき、
その芯に至るようなものをつくる、
という風には、
ChatGPTはつくっていない。

そのようにせよと教えれば可能だろうが、
そうした作りかけの何かのデータはネットに転がっていないため、
学習するソースがないよね。
完成品しかないからな。


芯はなんだ?
何を面白いと思い、
それはどんな線とディテールを持つ?

それが出来てないと、
剥いても剥いても芯のない、
フニャフニャの何かしか作れないだろう。

そして人が楽しむものは、
その芯なんだよ。


俺はこれのここを面白いと思うんだ。
そのプレゼンこそが、
作品を見せるということだ。
賛同を得られるかどうかは、その出来と世間の流れ次第だね。
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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