2023年08月26日

死んだ企画という経験

知り合いと話してて、昔動物園の飼育員になりたかった、
という話を聞いた。
なんでならなかったのか聞いたら、
動物が好きすぎて死んだり病気になったりしたら辛いから、らしい。

ふむ。
飯が好きすぎたら、外食産業の食品廃棄に耐えられない感じか。


それを我々の仕事にたとえると、
「詰まらないからこの企画は殺そう」
という気持ちに耐えられるか?
ということかなあ。


人の命を救いたいから医者になったとしても、
すべての患者を救えるわけではないだろう。
患者さんの死に立ち会うことは、
医師や看護師の成長の、
第一歩だと聞く。

人は死ぬ。
死なない人はいなく、全員を救えるわけではない。
それでもその現場に居続けるか?は、
プロ医師やプロ看護師として、
どのような気持ちで現場にいるべきかを、
突きつけるわけだ。


我々の仕事で言えば、
たくさんの企画を出し続けて、
死に続けることに耐えられるか?
ということだろうね。

あるいは批判や批評に耐えられるか?
ということも含めて良い。

企画やシナリオというものは、
すべてが100%名作ということはほとんどない。
何故なら100個並べれば優劣がつくからだ。

あなたがこれから出す企画10本は、
優劣にばらつきがある。

ということは、
どれかは詰まらない。
それが死ぬ、棄却されるわけだね。

それに、耐えられるか?
という話だ。


自分が心血を注いで作ったものほど、
詰まらないと言われるのは刃のように突き刺さり、
自分の心を切り裂くであろう。

それで自殺したくなる人、
辞めたくなる人もいるだろう。
俺には才能がないんだと。

プロになってからも、
失敗作を作ることはある。
自分が成功だと思い込んでいるものも、
別の人から見たらクソ作品だってこともある。

それに耐えられるかは、
プロとしてやっていけるかの、
条件であったりする。


あなたの作るものは、
それがどんな出来であれ、
企画段階でたくさん詰まらないと棄却され、
おもしろいとして実制作に進んだものでも、
詰まらないとたくさんの人に刺される。

どんな名作でも詰まらないという人はいる。
どんな駄作でも好きという人もいる。

どんな出来であれ、
どんな反応をするのも自由だ。
どんな批判や感想を言っても自由だ。

その自由こそが作品を発表する前提である。

批判を許さないのは独裁者だけだ。


だから、
原理上、
あなたの作品は必ず詰まらないといわれる。



だから、
企画が死ぬことに耐性をつけよう。

医者が救えなかった人に心を病み、
医者を辞めますといったとき、
我々はどう引き止めればいいのだろう?

動物が死に、もう飼育員やめますという人を、
どう引き止めるべきだろう?

次の人を救ってください、
次の動物を幸せにしてください、
しか言えないよね。


だから、
たくさんの死んだ企画たちを墓に入れながら、
我々は次の面白いものをつくるしかないのだ。
まあ、辞めてもいいよ。
どっちかを選ぶしかない。


企画が死ぬことに慣れよう。

新人芸能人たちは、
オーディションに落ちることが仕事と聞いたことがある。
10年落ち続けてもいつかチャンスをつかみ、
スターになる人もいる。

代表作は次回作と、
チャップリンですら言っている。
彼もいろんな「詰まらない」を受け続けたろう。


どんな死んだ企画の数があってもいい。
次出すやつが面白いやつが勝つ。
それだけのことだ。
posted by おおおかとしひこ at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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