知り合いと話してて、昔動物園の飼育員になりたかった、
という話を聞いた。
なんでならなかったのか聞いたら、
動物が好きすぎて死んだり病気になったりしたら辛いから、らしい。
ふむ。
飯が好きすぎたら、外食産業の食品廃棄に耐えられない感じか。
それを我々の仕事にたとえると、
「詰まらないからこの企画は殺そう」
という気持ちに耐えられるか?
ということかなあ。
人の命を救いたいから医者になったとしても、
すべての患者を救えるわけではないだろう。
患者さんの死に立ち会うことは、
医師や看護師の成長の、
第一歩だと聞く。
人は死ぬ。
死なない人はいなく、全員を救えるわけではない。
それでもその現場に居続けるか?は、
プロ医師やプロ看護師として、
どのような気持ちで現場にいるべきかを、
突きつけるわけだ。
我々の仕事で言えば、
たくさんの企画を出し続けて、
死に続けることに耐えられるか?
ということだろうね。
あるいは批判や批評に耐えられるか?
ということも含めて良い。
企画やシナリオというものは、
すべてが100%名作ということはほとんどない。
何故なら100個並べれば優劣がつくからだ。
あなたがこれから出す企画10本は、
優劣にばらつきがある。
ということは、
どれかは詰まらない。
それが死ぬ、棄却されるわけだね。
それに、耐えられるか?
という話だ。
自分が心血を注いで作ったものほど、
詰まらないと言われるのは刃のように突き刺さり、
自分の心を切り裂くであろう。
それで自殺したくなる人、
辞めたくなる人もいるだろう。
俺には才能がないんだと。
プロになってからも、
失敗作を作ることはある。
自分が成功だと思い込んでいるものも、
別の人から見たらクソ作品だってこともある。
それに耐えられるかは、
プロとしてやっていけるかの、
条件であったりする。
あなたの作るものは、
それがどんな出来であれ、
企画段階でたくさん詰まらないと棄却され、
おもしろいとして実制作に進んだものでも、
詰まらないとたくさんの人に刺される。
どんな名作でも詰まらないという人はいる。
どんな駄作でも好きという人もいる。
どんな出来であれ、
どんな反応をするのも自由だ。
どんな批判や感想を言っても自由だ。
その自由こそが作品を発表する前提である。
批判を許さないのは独裁者だけだ。
だから、
原理上、
あなたの作品は必ず詰まらないといわれる。
だから、
企画が死ぬことに耐性をつけよう。
医者が救えなかった人に心を病み、
医者を辞めますといったとき、
我々はどう引き止めればいいのだろう?
動物が死に、もう飼育員やめますという人を、
どう引き止めるべきだろう?
次の人を救ってください、
次の動物を幸せにしてください、
しか言えないよね。
だから、
たくさんの死んだ企画たちを墓に入れながら、
我々は次の面白いものをつくるしかないのだ。
まあ、辞めてもいいよ。
どっちかを選ぶしかない。
企画が死ぬことに慣れよう。
新人芸能人たちは、
オーディションに落ちることが仕事と聞いたことがある。
10年落ち続けてもいつかチャンスをつかみ、
スターになる人もいる。
代表作は次回作と、
チャップリンですら言っている。
彼もいろんな「詰まらない」を受け続けたろう。
どんな死んだ企画の数があってもいい。
次出すやつが面白いやつが勝つ。
それだけのことだ。
2023年08月26日
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