面白いとは何か。なかなか難しいのだが、
二種類あることは知っておいたほうがよい。
「同じことが面白い」という考え方と、
「違うことが面白い」という考え方だ。
もっというと、
「同じ『だから』面白い」という考え方と、
「違う『から』面白い」という考え方がある、
ということである。
まず議論が簡単な、
「違うから面白い」から。
これは若いときに特にある。
これまでと違うだけで面白いと勘違いする、
逆張りとかがそうだね。
これはマンネリから脱して、
違うことを求めることで、進化できる可能性があるから、
若い者特有の感覚だろう。
成功体験も失敗体験もない若者ならば、
概念だけで、
古いか新しいかをかぎ分けて、
新しい方へ行くのは当然とも言える。
これが進化の原動力である、といっても過言ではない。
しかし当然だけど、
逆張りしているだけで、
たいして面白くないものだってあるわけだ。
逆張りしているだけで面白いならば、
ベースになる時代が変わってしまったら、
面白さのかけらもなくなってしまう。
尖ったものはすぐに廃れるわけ。
なんなら、脚本を書き始めたときは逆張りで面白かったが、
書き終えるころにはそれが詰まらなくなっている、
というくらいの流行りだってある。
「逆だから面白い」という感覚は、
だから危険なんだよね。
いつもある、定番の面白さを超えて、
面白くなっているか、
という批判をしないといけないわけだ。
逆張りだから面白いというファクターを除いた場合、
それでも面白さが残っているか?
という検証が必要だね。
さて、
「同じだから面白い」というのはどういうことだろう。
定番とか、安心とかになるわけだね。
永遠なるマンネリもそうだ。
「そうなると安心する」
「やっぱりこれだね」というのは、
ひとつの安心効果、精神安定剤として機能する。
「待ってました!」というパターンもあるし、
それはある一定の品質のものを見た、
という満足感にもなるだろう。
悪を正義が毎回倒すのはなぜか?
片思いが成就するのはなぜか?
安心するからだよね。
悪が勝って正義が通用しなかったり、
辛い思いが実らなかったりしたら、
現実の厳しさを見るだけのものになってしまって、
娯楽とはほど遠いものになってしまう。
夢くらいみさせろよな、
という人たちが多いから、
これらは(娯楽としての)安定した安心感になっているわけだ。
当然、これが過度に働くと、
同じものを量産し続けることになり、
定番しかなくなり、飽きになる。
現在の銀行による予算確保システムが、
過度に働くとこうなってしまう。
銀行は儲かるか儲からないかでしか金を貸さないため、
かつて成功した何かに関してなら投資するけど、
新しい、まだ成功していない何かには投資しない。
だから、
前に成功したパターンの、
「同じもの」しか新しく生まれない、
という悪循環が、ここ十年、あるいはそれ以上続いている。
新しいものは違うものだが、
同じものにしか投資がないわけだ。
ということは。
同じものに見える企画書で、
まったく違うものに仕上がった、脚本をつくればいい、ということになる。
全く同じに見える企画書はいらないし、
全く斬新な企画書は冒険が過ぎる。
7割の安心感と、3割の斬新さが必要だ。
どうせ脚本を読めるやつなんてほとんどいない。
企画書しか読めないんだ。
そういう奴には安心させて金をださせりゃいいのさ。
そして、単なる逆張りじゃない、
新しい違うものをつくればいいのさ。
当然、それは、
同じもので得られる安心感を超えられているか?
が評価ポイントになる。
それが同じもの、定番もの、ベタなものを、
越えるほどのものでなければ、
詰まらないものになるだろう。
だって他にもっと同じ面白いものが転がっているから、
ということになる。
他にない新しい違うもので、
しかもこれまでの同じものを超えるものを、
つくればいいのだ。
しかし、完全にまったく異なるものを作る必要はない。
悪は正義に倒される話という、
定番の安心するものを軸に置きながら、
まったく別の設定やキャラクターや、
テーマや焦点を作り出してもよい。
安心させながら、新しく更新するわけだ。
これらは背反するものではなく、
両立しえる、ということである。
ハリウッドのプロデューサーの言葉で、
「同じだが、違うものを持って来い」というのがある。
これは、このようなことを言っている。
「違うものだが、同じものを持って来い」
ではない所もひとつポイントだね。
安心感が先で、そのあとに新規性ということだね。
定番のこの何かが、少し更新される感じが、
ビジネス上一番求められているということだ。
2023年08月31日
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