現実ではなるべくやりたくないこと。
それは当然フィクションの中でもやりたくない。
しかしそれをしないとストーリーが進まないのもたしかだ。
ということは、
「進んでそれをやる」というよりは、
「それをしないと○○になる」というものを作れば良い。
暑くて働きたくないならば、
貯金がなくなればいいのだ。
暑くても働かざるを得ないだろう。
あるいは、
働き先がめっちゃ涼しいところ
(軽井沢とか南極でも)ならば、
涼しいところならいきてえ、となるかもしれない。
どんなことでも、
あたなが決めれば良い。
それが自由な創作というものだ。
法則はなく、
必要性と逃げたい力の天秤できまる。
めんどくさいからしない、
だけとは限らない。
大切な人を失い、もう何もしたくないキャラクターは、
どうやれば動くか?
誰か他の人を助けないとその人が死ぬ、
みたいな状況ならば?
自分のことではなく、
他人のためならばその人は動くと思う。
自分に置き換えて判断してもいいし、
まったく他人に置き換えてもよい。
自分ならこうなったら動く、でもいいし、
こうなったら大抵の人は動くだろう、でもいい。
他人事のほうが無茶振りしやすく、
自分だと逃げが入りがちなので、
他人だと思った方がたぶん面白くなる。
左うちわでモテモテで、
不労所得で遊んでるだけでいい状態を、
いきなり奪う手を考えればいいのだ。
すねかじりの親が死んでもいいし、
不労所得の株が暴落してもいいし、
交通事故でイケメンの顔がブサイクになってもいい。
何にもしなかったそのキャラクターは、
動き出すだろう。
何をさせるかは、
のちのちプロットでどうなるか決まってるから、
おもしろおかしくその行動をするように、
逆算で考えればいいだけだ。
メアリースーに取り憑かれたキャラは、
なるべく何もせずに得をしようとする。
それは見せ物としてつまらない。
その人が汗水垂らして、
危険に放り込まれて、
右往左往するのを眺めるのを、「見物」というのだ。
せっかく動物園に行ったのに、
動物が寝てたらつまらんよね。
動けや、と。
そのためには、
生肉を放り投げたり、
後ろから敵をけしかければよいわけだ。
その、動かなきゃいけない理由を考えることが、
中盤の創作だといってもよい。
序盤と終盤はたいていキャラは動くけど、
中盤で停滞しがちだからね。
2023年09月05日
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所詮は他人事なので、無茶ぶりのち高みの見物です!
この記事は脚本論の話です。
大体一ヶ月以上書き溜めてあるのを放流してるので、
薙刀式とは独立した話題のことがほとんどですね。
ATOKは動作軽いのかなー。
以前Google日本語入力をインストールした時、
僕のタブレットでは重すぎて使い物にならなかったので、
慎重にはなってます。
使用期間中に試す内容が整理できてから試すとは思います。
二回試せないだろうし。
今取り掛かってる原稿を書き終えるまではIME変えたくないので、
もう少し先かな。
ATOKよりQMKのアプデのほうが大変で、
Breaking Changeを一通り把握するのがとても面倒…
そっちの方を無視したい…