2023年09月13日

もっとえげつなくしたれ

「感情を強くしよう」といっても、
なかなか難しい。
なので大阪弁で理解した方が簡単や。

えげつなくしたらええんや。


たとえば「悲しい」場面があるとしよう。
犬が死んで悲しいとする。

「悲しみの感情を強くしよう」と言われても、
「涙の一筋が流れる」から、
「うわああああと号泣する」
に書き直す程度しかしないのではなかろうか。

これはガワの感情を強くしただけで、
本質的な悲しみが増幅したわけではない。

「悲しみをえげつなくすればええんや」
と思うと?

そうだな、
その犬は妊娠してたことにして、
トラックにはねられて、お腹の中の子供ごと死ぬことに変えればいい。
悲劇がえげつなくなったね。

もっとやってみようか。

隣人に恨まれてて、
その復讐のために犬が惨殺されたとしよう。
これじゃ怒りになってしまうため、
犯人の隣人は逃走中に車に轢かれて死んでしまうとする。
怒りのやり場がどこにもなく、
ただむなしい悲しみだけがやってくる場面になるだろう。
血だらけの犬小屋を拭いてるときに、
どうしようもない悲しみが襲ってくるだろう。
その犬が子供の頃につけてた首輪があって、
なくしてたと思ったらその犬が隠してた、
って気づいたら号泣だな。


もっとやってもいいよ。
世の中にいくらでも悲劇は転がっている。
よりえげつない悲劇に、
より悲しみの深いえげつなさに持っていくと良い。

こういうのは関西人が得意かもね。
関西は東京よりえげつない。
僕から見たら、東京のほうが静かで上品で、
つまらないんだがね。
人間はえげつない。
人間の本質をどう捉えてるかの差かもしれない。

映画はショーだ。
見せ物はえげつない方がいいよね。


えげつないエロ。
えげつない笑い。
えげつない怒り。
えげつない恐怖。
えげつないドキドキ。

ただの感情を、
強くするだけでなく、
その強い感情が引き起こされるように、
ストーリーごと書き直せばいいわけ。
設定を変えるだけじゃ中途半端だ。
まるで別物にしたっていいんだ。
えげつなくすることが目的だ。

ちょっと嬉しい、心温まるハートウォーミングストーリーを、
えげつなく嬉しくなる、ハートがカッカしてくる、
えげつない熱い話に書き換えてみよう。

歌が上手くなるコツは、
最大出力を上げることである。

まずはえげつないことが書けるようになれ。
その為には何をやってもいい。
きっとドギツイ、刺激の強いものばかりになるだろう。
それでいい。
まずは最大出力を上げるんだ。

最大出力から最小出力まで出せて、
はじめてコントロールに意味がある。
1か2しか出ないスピーカーで音楽を聞くな。
1万まで出るスピーカーで、コントロールせよ。


また、
ストーリーというのは一場面ではなく、
単色の感情ではない。
ある悲しい場面をえげつなく悲しくしたとしよう。
別の場面に嬉しい場面があるとする。
それもえげつなく嬉しくしてみたまえ。

ただえげつなく悲しいストーリーではなく、
深い悲しみから輝く喜びへ至る、
すごいストーリーになる可能性がある。

そうすると、感情のジェットコースターができるよね。
落差があればあるほどたのしいね。

もちろん、えげつなポイントは1〜2個でなくてよい。
何個も何個もあってよい。



世の中にえげつない事件はたくさんある。
妊婦を殺して腹を割き、
赤ん坊を取り出してから電話を埋めた殺人だってあるわけ。

それと並ぶか、それ以上のえげつなさが、
はじめてショーになる。

えげつないことは、
大抵ネガティブなことが多い。
上の殺人も、残酷さ、不可解さにおいてえげつない。

だから、ポジティブなえげつなさを考えることもいいよ。
えげつなく笑える、
えげつなく幸せ、
えげつない喜び。

なかなか難しいから、
一旦ネガティブにえげつなくして、
普通の幸せにたどりつければ、
えげつなくほっとするかもね。


人の認識はギャップである。
ギャップがあればあるほど、
急降下のジェットコースターだ。

フィクションは現実じゃないんだ。
現実よりえげつない起伏だから、
売り物になるんだぜ。

「うわあそれはえげつなさそうー」って思われたら、
それはヒキがあるわけだ。

あるいは、
一見大人しく清楚なのに、
はじまったらえげつなくなるのもいいよね。

淡白なのは最悪だ。



物足りないと思ったら、
「もっとえげつなくできる?」と、
自分に聞いてみよう。
残酷びっくりショーに負けないやつになれ。
残酷さやびっくりのえげつなさでタメを張って勝負してもいいし、
別のベクトルのえげつない感情で勝負しても良い。

えげつない恋愛。
えげつないホラー。
えげつないアクション。
えげつない謎解き。
えげつない人間ドラマ。

ほら、おもしろそうじゃない。


「なにがおもろいの?」という問い(反語)には、
「どれだけえげつないの?」
という問いと等価な時がある。

えげつない話のほうが、人は飛びつく。
それが見せもの小屋である。
posted by おおおかとしひこ at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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