2023年09月15日

そこからそこまで行動できるだけの動機があるか

リライトをやっているときに、
よくわからなくなってくることシリーズ。


切り貼りをすることは、リライトでよくあることだ。
あっちの場面をこっちに移動したり、
あれを切ってこっちに貼ったり、
いろいろなことをやるゆえに、
話がうまく機能しなくなることがある。


たとえば、
あるブロックとあるブロックをくっつけて、
より大きなブロックをつくったとしよう。
その大ブロックを通じて行動できるほど、
前のシーンで動機がつよく描かれているか?
というのはチェックを忘れやすい、
という話をする。


以前の短いブロックであれば、
その直前のターニングポイントで、
「よし、〇〇しようぜ」なんて言って終わっているはずだ。
その〇〇の動機はある程度の大きさであろう。

しかし、
リライトによって、〇〇のシーンがとても長くなり、
それをやるほどには、
動機は強く描かれていない、
という状態になってしまうことが、
よくあるわけ。

読み直したときには、
「ちょっと退屈になっているなあ」と感じるはずで、
動機が弱いとは感じない。
「長いからか、切ってみる? いや無理だなあ」
となって、
いまいち退屈だけど、まあこれを超えれば面白くなるし、
なんて流してしまうことが、
よくあるのではないだろうか。

これは、ブロック全体に問題があるというよりは、
ブロックに突入する、
その侵入速度が遅いから、
ということなわけ。
その長いブロックを駆け抜けられるほどの、
十分な強い速度で入っていないから、
というのが原因だぞ、
ということだ。


前から読めばそれは明らかか?
読むだけじゃ微妙で、
変だけど原因に気づけない、ということがほとんどだろう。
結合する前はうまくいっていた、ということが多いからだ。

今回の切り貼りでよくなくなったのはわかるが、
結合することは全体から見たらよいリライトの筈だから、
それを優先させることが正しいことのように、
理屈では思えるからね。

しかし、感情側で見ていると、
なんか足りなくて退屈になってしまう、というわけ。


リライトする側の都合、ともいえるね。
見ている側のことを考えないリライトだからね。

でもそれに気づけて、原因を特定し、
対処できるのは、
よほどリライト慣れして、
間違った経験を積んだことのある人だけだろう。


そんなことある?
って思うならば、
まだリライトでこういう失敗をしていないからかもね。

結合するのは結構危険なんだよね。
気づかない不備が出ていることが多い。
そこだけ見て「結合できたらからOK」と判断しがち。
問題はその前に潜んでいるというのに、
その原因と修正までたどり着けないパターンが多いと思う。


posted by おおおかとしひこ at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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