プロットを追っかけ、登場人物の中の気持ちになり、
その流れを整えることは、
脚本を書く上で基本的なことである。
だけど、流れにはもうひとつある。
観客の気持ちの流れである。
ここで観客はこれを期待してるな、とか、
ここで観客はこう予想してるだろう、とか、
ここで観客は気持ちを整理するな、とか、
観客の気持ちの流れというものがある。
それは最終的に主人公や他の登場人物たちの気持ちと一致していくが、
完全一致になるとは限らない。
主人公の気持ちはわかるけど、
相手の気持ちもわかるぜ、
などの場面では、
両方の流れの中に観客はいるわけだ。
あるいは、
すべての登場人物を超越した、
俯瞰的立場に気持ちがいくこともあろう。
1945年の8月6日にタイムスリップすれば、
「今日は原爆が落ちる日」だということくらい、
観客は知っている。
こうしたことを踏まえて、
「今から広島に行く人」を止めたいという気持ちに、
感情の流れが出てくるわけだ。
プロットの流れや焦点の流れ、
登場人物の感情や行動の流れなどをチェックしよう。
ここで綻びや矛盾が生じていれば、
そもそも問題のある脚本だ。
だけど優秀な脚本には、
そこに書いていないが強烈に濃厚な流れがある。
それが観客の気持ちの流れだ。
書いてないけど、
それを見た人は必ずそういう気持ちの流れになるもの。
そんな風に誘導がうまく効いてるか?
をチェックしなければならない。
これは、
リライトを重ねれば重ねるほど、
アンテナが鈍くなってくる。
初見じゃなくなるからだろう。
第一稿を書いていたときのような、
次にどうなるか分からないから予測したり、
こうなるんだろうなという期待のことを、
リライトを重ねるとすっかり忘れてしまう。
そうだ、こういう風に誘導するべきだ、
ということを思い出せれば幸いである。
むしろ、
「観客の気持ち」だけに特化して、
一気読みをしてメモをとるとよい。
ここでAを期待しているのに、
ずっとBの話しかなくて、
Aが来ないところを見つけて、
Aが来て「キター!」になるようにするべきだ。
あるいはBが来るならば、
Bを期待させるように修正するべきだ。
そんな風に、
期待という伏線と、
それが来たという解消を、
どのように流れ化しているかを、
意図的に意識化してみよう。
せっかくAを期待している場面に、
ノイズが入ってAへの期待が減じるならば、
下手なリライトなのだ。
もっとAを期待できるように書き直すことが、
やるべきことだよね。
リライトを部分でやると、
そうなりやすい。
あ、ここはXを挿入するべき、
などと思って、全体の流れや登場人物的に大丈夫と判断して、
やってしまうことがままある。
このXの挿入によって、
せっかく膨らんだAへの期待がしぼみ、
つまらなくなることがとてもよくある。
だから、欄外に「Aへの期待」なんて書いておくと、
そうか、Xはこれを減殺するな、
と判断できるようになる。
観客の反応や期待だけは、
脚本に書いていない。
その透明の流れを、常に意識することだ。
2023年09月17日
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