物語を書くことが難しいのは、これに尽きる。
テーマは最後に確定するというのに、
最初からテーマを決めてないと書けない、
という矛盾。
長い文章を書き終えた人にしか分からないことだけど、
最後まで書いて、
やっとテーマがはっきりと分かることはとても多い。
もちろん、
ざっくりとAというテーマに落とそうとして、
プロットも書いているし、
そのための前振りとして、
オープニングや前半を書いてきたはずである。
しかし最後まで書いてみると、
Aはより鮮明になった、AAなんだなと分かることが多い。
ざっくりはAだけど、BやXにはなってないが、
より詳しくいうとAAとかA2とかA'なんだな、
ということがとてもよくある。
A2やA'だと、
Aのまがいものやバリエーションに見えるため、
あえてAAという表記にして、
より深くなりましたという見え方にしてみた。
さて、こうなった場合、
オープニングや前半や伏線や、
なんなら物語の構造そのものを、
変えるべきと思ってしまう。
そしてそれを書き終えたとき、
AAに落とす予定がAAAないしAA'になり、
また…というループになるやつね。
それでどんどん完成度が上がればいいんだけど、
たいていグズグスになってゆく。
だったら一稿目や二稿目が良かったのでは…
になり、また枝番になり…
という迷路にハマることはよくあることだ。
そして、
間違ってなかったと自分に自信を持たせたいがために、
本来は間違っている、
一稿目を最終版としてしまう誤りも、
稀に良くあることだろう。
欧米の論文の基本は、
最初に「これから○○という結論になる話をします」
からはじめて、
最後に「○○という話をしました」
で終えることである。
abstractとconclusionの関係だ。
物語文学でもこれを踏襲している。
ただし結論をいうとネタバレだから、
「なんとなくこういうことかもよ」という「暗示」
から始めるのが良い、
とハリウッドでは教えている。
正義と悪の話なら、
白い布にぽたりと落ちた墨汁でもよいし、
泥から咲く蓮の花でもいいよね。
炎を吹き消す風でもいい。
落ちぶれる話なら、
夕日から始まってもいいし、
廃墟から始まってもいいわけ。
もちろん復活する話のオープニングでも使えるね。
ああ、これはこれっぽい話だなあ、
となんとなく分かるところからはじめて、
「やはりそれがテーマだったか」
と終わるわけだね。
トップカットを泥ではじめて、
ラストカットはそこから咲いた蓮の花にして、
ブックエンドにしてももちろんよい。
つまりは、
「○○っぽい話をします」
「○○の話をしました」
という構造であるべき、
ということだ。
これは「ねばならない」というよりは、
「そのほうがちゃんとしてる」からである。
Aっぽい話から始めて、
Bで終わる話をする人が、
信用されるか?
ということだ。
Aに落ちるであろうネタバレすぎないところから始めて、
Aにきちんと着地する話の方が、
ちゃんとしてるだろ?ということだ。
そういう意味のマストだ。
そうじゃない話の仕方は「へた」なのだ。
何の邦画だったか忘れたのだが、
トップカットが「白い車のガソリン給油口」
だった映画があった。
そこから横ドーリーすると窃盗団がやってきて、
夜の駐車場で、車から勝手にガソリンを盗むシーンであった。
たしか妻夫木聡がメインキャラだったと思う。
ベビーフェイスで売ってきた妻夫木が、
金髪にして悪役に!だったようなおぼろげな記憶。
で、たしかこのトップシーンは、
悪いやつの日常を示すシーンだったと思うが、
ガソリンと給油口は、
テーマと関係なかったと思う。
石油の価格は操作されてるというテーマでもなかったし、
やる気(抽象的なガソリン)がなくなると人は死ぬ、
というテーマでもなかったし、
警戒しない奴はだめだ、みたいなテーマでもなかった。
色んな象徴をガソリン給油口に込めることは可能だが、
それになっていなかったと思う。
予告で見たテーマらしきものとは異なったため、
僕はトップカットを見て、
開始わずか一秒でこの映画は信用できないと感じた。
あまり面白くなかったので、
タイトルが思い出せずすいません。
15年くらい前かなあたしか。
(追記: 調べたら「悪人」が該当するっぽいが、
わざわざ確認していない)
「そのシーンだけ」でいえば、
給油口はじまりは整理されている。
「ガソリンを盗む」というシークエンスにおいて、
ゴールイメージを示しているからだ。
だけどそれは、
映画全体のゴールではなかった。
目先の整理しかできてない、
ダメな監督ないし脚本ないし編集だな、
と1秒で判断できたなあ。
話を戻そう。
つまりあなたはガソリン給油口から書き始めたくせに、
そこと関係ないラストにしてるだろ、
という話をしている。
そして、当初はそれに引っ掛けたテーマになる予定だったが、
書き終えた瞬間「ちがう」となることって、
とても多いよねという話。
だから、
「ほんとのことは書き終えるまでわからない」し、
「書き終えたところを想定して書き始めろ」
という矛盾が生じるわけだ。
で、
正しくちゃんとした形になるまで、
粘って頑張れ、
としかアドバイスできないのである。
トップとラストが揃えられた、
その間のねじれもすべて解消された、
美しい流れに完成させろ、ということだ。
テーマはなにか?
そしてそれを示すトップか?
トップからはじまった話は、
エンドに至って話をちゃんと閉じてるか?
これらは多分、
最初にチェックすることになり、
そして最後にチェックすることになろう。
もちろん、
トップとエンドだけではなく、
タイトル、キャッチコピー、コンセプトなど、
根幹の部分も同様だ。
その芯の芯の芯であるところのテーマが、
最後に決まるという矛盾こそが、
ちゃんとしたストーリーを書くことを、
困難にさせている。
2023年09月22日
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