2023年09月22日

テーマはぎりぎり最後にきまる

物語を書くことが難しいのは、これに尽きる。

テーマは最後に確定するというのに、
最初からテーマを決めてないと書けない、
という矛盾。


長い文章を書き終えた人にしか分からないことだけど、
最後まで書いて、
やっとテーマがはっきりと分かることはとても多い。

もちろん、
ざっくりとAというテーマに落とそうとして、
プロットも書いているし、
そのための前振りとして、
オープニングや前半を書いてきたはずである。

しかし最後まで書いてみると、
Aはより鮮明になった、AAなんだなと分かることが多い。

ざっくりはAだけど、BやXにはなってないが、
より詳しくいうとAAとかA2とかA'なんだな、
ということがとてもよくある。

A2やA'だと、
Aのまがいものやバリエーションに見えるため、
あえてAAという表記にして、
より深くなりましたという見え方にしてみた。


さて、こうなった場合、
オープニングや前半や伏線や、
なんなら物語の構造そのものを、
変えるべきと思ってしまう。

そしてそれを書き終えたとき、
AAに落とす予定がAAAないしAA'になり、
また…というループになるやつね。

それでどんどん完成度が上がればいいんだけど、
たいていグズグスになってゆく。
だったら一稿目や二稿目が良かったのでは…
になり、また枝番になり…
という迷路にハマることはよくあることだ。

そして、
間違ってなかったと自分に自信を持たせたいがために、
本来は間違っている、
一稿目を最終版としてしまう誤りも、
稀に良くあることだろう。



欧米の論文の基本は、
最初に「これから○○という結論になる話をします」
からはじめて、
最後に「○○という話をしました」
で終えることである。
abstractとconclusionの関係だ。

物語文学でもこれを踏襲している。
ただし結論をいうとネタバレだから、
「なんとなくこういうことかもよ」という「暗示」
から始めるのが良い、
とハリウッドでは教えている。

正義と悪の話なら、
白い布にぽたりと落ちた墨汁でもよいし、
泥から咲く蓮の花でもいいよね。
炎を吹き消す風でもいい。

落ちぶれる話なら、
夕日から始まってもいいし、
廃墟から始まってもいいわけ。
もちろん復活する話のオープニングでも使えるね。

ああ、これはこれっぽい話だなあ、
となんとなく分かるところからはじめて、
「やはりそれがテーマだったか」
と終わるわけだね。

トップカットを泥ではじめて、
ラストカットはそこから咲いた蓮の花にして、
ブックエンドにしてももちろんよい。

つまりは、
「○○っぽい話をします」
「○○の話をしました」
という構造であるべき、
ということだ。

これは「ねばならない」というよりは、
「そのほうがちゃんとしてる」からである。

Aっぽい話から始めて、
Bで終わる話をする人が、
信用されるか?
ということだ。

Aに落ちるであろうネタバレすぎないところから始めて、
Aにきちんと着地する話の方が、
ちゃんとしてるだろ?ということだ。

そういう意味のマストだ。
そうじゃない話の仕方は「へた」なのだ。



何の邦画だったか忘れたのだが、
トップカットが「白い車のガソリン給油口」
だった映画があった。

そこから横ドーリーすると窃盗団がやってきて、
夜の駐車場で、車から勝手にガソリンを盗むシーンであった。

たしか妻夫木聡がメインキャラだったと思う。
ベビーフェイスで売ってきた妻夫木が、
金髪にして悪役に!だったようなおぼろげな記憶。

で、たしかこのトップシーンは、
悪いやつの日常を示すシーンだったと思うが、
ガソリンと給油口は、
テーマと関係なかったと思う。

石油の価格は操作されてるというテーマでもなかったし、
やる気(抽象的なガソリン)がなくなると人は死ぬ、
というテーマでもなかったし、
警戒しない奴はだめだ、みたいなテーマでもなかった。

色んな象徴をガソリン給油口に込めることは可能だが、
それになっていなかったと思う。

予告で見たテーマらしきものとは異なったため、
僕はトップカットを見て、
開始わずか一秒でこの映画は信用できないと感じた。

あまり面白くなかったので、
タイトルが思い出せずすいません。
15年くらい前かなあたしか。
(追記: 調べたら「悪人」が該当するっぽいが、
わざわざ確認していない)


「そのシーンだけ」でいえば、
給油口はじまりは整理されている。
「ガソリンを盗む」というシークエンスにおいて、
ゴールイメージを示しているからだ。
だけどそれは、
映画全体のゴールではなかった。

目先の整理しかできてない、
ダメな監督ないし脚本ないし編集だな、
と1秒で判断できたなあ。



話を戻そう。

つまりあなたはガソリン給油口から書き始めたくせに、
そこと関係ないラストにしてるだろ、
という話をしている。

そして、当初はそれに引っ掛けたテーマになる予定だったが、
書き終えた瞬間「ちがう」となることって、
とても多いよねという話。

だから、
「ほんとのことは書き終えるまでわからない」し、
「書き終えたところを想定して書き始めろ」
という矛盾が生じるわけだ。


で、
正しくちゃんとした形になるまで、
粘って頑張れ、
としかアドバイスできないのである。
トップとラストが揃えられた、
その間のねじれもすべて解消された、
美しい流れに完成させろ、ということだ。


テーマはなにか?
そしてそれを示すトップか?
トップからはじまった話は、
エンドに至って話をちゃんと閉じてるか?

これらは多分、
最初にチェックすることになり、
そして最後にチェックすることになろう。


もちろん、
トップとエンドだけではなく、
タイトル、キャッチコピー、コンセプトなど、
根幹の部分も同様だ。

その芯の芯の芯であるところのテーマが、
最後に決まるという矛盾こそが、
ちゃんとしたストーリーを書くことを、
困難にさせている。
posted by おおおかとしひこ at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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