2023年08月11日

物語というのは「見立て」なのだ

動くイラスト?どういうこと?
これはすごいわ。
https://twitter.com/shin___geki/status/1689563311866810369?s=20


パーツに分解してみよう。
それぞれのパーツは三次元的な変形をしていない。
二次元的に動いているだけだ。

にも関わらず、私たちは三次元空間を、
そこに見ることができる。

向こうを向いてた彼女がこっちを見て、
ちょっと横顔で距離が遠くになって、
食べる瞬間を見られないように恥ずかしがり、
またこっちに距離を近づけたように見える。

パーツは三次元的な変形をしていないにも関わらず。


つまりこれは、
私たちの脳が、真に三次元空間を持ってないことを示唆する。
なにかしらの二次元パーツの寄せ集めで、
三次元を擬似的に認識してるだけでは?と。

物語もそうでは?

ほんとうに時間軸をもってるだけではなくて、
パーツの寄せ集めで、
時間や空間や変化を感じているだけでは?

脳の認識が物語なのだから、
うまく選んだパーツとうまく選んだ組み合わせで、
脳内に物語として認識させられるような、
なにかができるのでは?

つまり、
「起きたことにカメラを回していても、
物語にはならない」
ことの逆を、これで見れたのでは。
posted by おおおかとしひこ at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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