とりあえずこれを指す言葉がないので、
オープンとクローズドということにする。
その人の行動の意図や動機が、観客に明らかかどうか?
という区別。
オープンとは、
その人の行動や発言やその意図が、
明らかに観客に伝わるもの、と定義しようか。
つまり、「〇〇をするつもりだな」「〇〇したいんだな」などと観客が分っていて、
だからその行動に一喜一憂できる。
仮に誤解されても、
「それは誤解だよ、だってこの人は〇〇をしたいんだから、
それはそれを思っての行動なんだ」
と、きちんとその人の立場や思いに寄り添って、
感想を持つだろう。
もっとも、「分っている」というレベルは常にあって、
説明されたから分っているというレベルなのか、
それとも、
感情移入がとてもうまくいっていて、
「ぜひその人には〇〇を達成してほしい」と思っていて、
その人の成功や失敗に、同じくらい観客も感情移入できるレベルなのかについては、
かなりの幅がある。
悪の組織が「世界征服をしたいのだ」
というならば、はあ、まあそうですか、
そういうものだよね、
でしかないが、
その悪の組織が、どうしても世界征服をしたい理由に、
感情移入できるようなエピソードがあれば、
「どうしても世界征服してくれ!」と、
応援することになるだろうね。
その状態まで至れば、
ショッカーが怪人を繰り出すごとに、
「よし、また一歩世界征服が近づいたぞ」と思い、
怪人が倒されたら、
「悔しい、あと一歩のところだったのに!」と、
悔しくなるだろう。
美人に変装した幹部が本郷猛を篭絡しようとしたならば、
本気で本郷に惚れているなどと思わず、
「よし、騙されろ!」とその行動に感情移入しているはずだ。
これはあくまで、そういうことも物語では可能である、という実験である。
設定的に悪だから倒されるべきで、
正義だから感情移入する、
というわけではないのだ。
それまでの物語経緯で、感情移入は決まる。
だから、
どのようにもコントロールできるのである。
つまり、
オープンの場合は、感情移入が大事だ。
また、明らかなオープンの場合もある。
「この人、明らかにこの子が好きだろ」と、
ほほえましくなる場合がそうだろう。
オープンであればあるほど、
感情移入すればするほど、
その人の一挙一動に注目して、
ぜひ成功してほしいと応援するものである。
これは、主人公だけとは限らない。
複数の登場人物がオープンである場合もある。
その場合、観客は神の立場になって、
この人にも勝たせたいし、この人にも勝たせたいなあ、
などと迷うことになる。
その時間も物語的だよね。
さて、一方のクローズドに関して考えよう。
クローズドは、オープンの逆で、
「その人の行動の理由がわからない」
という場合を言うと定義しようか。
「なぜこうするのか」「なぜこういうのか」がわからず、
不気味である場合だ。
意図が不明なことは、それだけでストレスで、
なぜそんなことをしたのかわからない行動は、
謎だけでなく恐怖もあるよね。
悪の組織はたいていそうだ。
完全に意図が分からないから、不気味なのだ。
あるいは、好きなあの子の気持ちもクローズドだ。
だからその意図や気持ちを推し量るような、
いろいろな行動や発言があるわけだ。
あるいは、
謎の行動や発言をしておいて、
あとで明かすパターンもある。
ある時期はクローズドだが、
「実はあの時こうしようとしていたのだ」
「実はこういう事情があったのだ」などと明かされ、
オープンになるシーンは、
物語的である。
意図せざるクローズドになるパターンは、
脚本の初心者にとても多い。
本人はオープンのつもりで書いているのだが、
いつの間にか「なぜそれをするか分からん」「なんでそれをしないのか分からん」になってしまい、
意図的でないクローズドが発生して、
とても退屈を生むことがある。
作者の意図と表現されたものが異なるから、
それは滑っているということだね。
さて、
そういうものがないと仮定して、
作者が完全に支配権を握っているとして、
オープンとクローズドを使い分けているか?
という話がようやく本題だ。
たとえば、ずっとオープンだった人が、
急に意図の分からない行動をして、
周囲(と観客)を混乱させることがある。
しかし、「あとで理由を言うよ」と一言あれば、
そのクローズドがオープンになる瞬間を、
みんな待つことになり、
その理由が明かされたときには、「なるほど」と思うだろう。
(そうならないものは出来が悪い)
「俺に考えがある」というシーンとかはそれの代表だよね。
クローズドがオープンになるシーンはいろいろなパターンがある。
自らしゃべる場合もあれば、
証拠が出てきて察せられる場合もあれば、
誰かが言う場合もあるだろう。
ニュースで発表されるパターンもあるだろう。
「会社の不正をニュースで知った会社員」というのは、
なんか最近よくあるパターンな気がする。
クローズドの闇がオープンになったわけだね。
オープンからクローズドへ、
クローズドからオープンへ、
移行するシーンは必ずターニングポイントになるだろう。
焦点が変わるわけだからね。
これをうまく使って、AストーリーやBストーリーのターニングポイントと重ねると、
劇的になるだろう。
(例 「俺に考えがある」と作戦を遂行して、
それが成功して事態が進み、
「実は〇〇だったのだ」とその原因を明かす
例 「バイトで会えない」と恋人が冷たくなり、
不満だったら、実は誕生日プレゼントを買うために、
必死で働いていた)
オープンとクローズドを、
こうやって使い分けよう。
プロット段階で考えるべきこともあるだろうし、
執筆時点でここをこうしようと思いつくこともあるだろう。
ポイントは、
「これはこういう流れになるのは当然」という流れがあるかどうかと、
「その流れだとこれはおかしい、へんだ」ということがわかるかどうかと、
「その意図や行動に感情移入していて、
ぜひそれはそうなるべきだと見守っている状態」
になっているかどうか、
が大事なところだろう。
つまりこれは、
ストーリーそのものというよりは、
語り口がうまくいっているか、
というチェックがないと使いこなせないだろうね。
脚本だけを見ていてもわからない。
「今これを見ている人の気持ちはどうなっているか」
がわかっていないと、
使えないテクニックだろう。
物語はジャーナリズムではない、
というのは、
こうした観客の気持ちを揺さぶるように組み立てている、
ということも関係する。
事実関係の報告をしても面白くないんだよ。
2023年09月23日
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