2023年09月23日

行動のオープンとクローズド

とりあえずこれを指す言葉がないので、
オープンとクローズドということにする。

その人の行動の意図や動機が、観客に明らかかどうか?
という区別。


オープンとは、
その人の行動や発言やその意図が、
明らかに観客に伝わるもの、と定義しようか。

つまり、「〇〇をするつもりだな」「〇〇したいんだな」などと観客が分っていて、
だからその行動に一喜一憂できる。

仮に誤解されても、
「それは誤解だよ、だってこの人は〇〇をしたいんだから、
それはそれを思っての行動なんだ」
と、きちんとその人の立場や思いに寄り添って、
感想を持つだろう。

もっとも、「分っている」というレベルは常にあって、
説明されたから分っているというレベルなのか、
それとも、
感情移入がとてもうまくいっていて、
「ぜひその人には〇〇を達成してほしい」と思っていて、
その人の成功や失敗に、同じくらい観客も感情移入できるレベルなのかについては、
かなりの幅がある。

悪の組織が「世界征服をしたいのだ」
というならば、はあ、まあそうですか、
そういうものだよね、
でしかないが、
その悪の組織が、どうしても世界征服をしたい理由に、
感情移入できるようなエピソードがあれば、
「どうしても世界征服してくれ!」と、
応援することになるだろうね。

その状態まで至れば、
ショッカーが怪人を繰り出すごとに、
「よし、また一歩世界征服が近づいたぞ」と思い、
怪人が倒されたら、
「悔しい、あと一歩のところだったのに!」と、
悔しくなるだろう。
美人に変装した幹部が本郷猛を篭絡しようとしたならば、
本気で本郷に惚れているなどと思わず、
「よし、騙されろ!」とその行動に感情移入しているはずだ。

これはあくまで、そういうことも物語では可能である、という実験である。
設定的に悪だから倒されるべきで、
正義だから感情移入する、
というわけではないのだ。
それまでの物語経緯で、感情移入は決まる。
だから、
どのようにもコントロールできるのである。


つまり、
オープンの場合は、感情移入が大事だ。
また、明らかなオープンの場合もある。
「この人、明らかにこの子が好きだろ」と、
ほほえましくなる場合がそうだろう。

オープンであればあるほど、
感情移入すればするほど、
その人の一挙一動に注目して、
ぜひ成功してほしいと応援するものである。

これは、主人公だけとは限らない。
複数の登場人物がオープンである場合もある。
その場合、観客は神の立場になって、
この人にも勝たせたいし、この人にも勝たせたいなあ、
などと迷うことになる。
その時間も物語的だよね。


さて、一方のクローズドに関して考えよう。

クローズドは、オープンの逆で、
「その人の行動の理由がわからない」
という場合を言うと定義しようか。
「なぜこうするのか」「なぜこういうのか」がわからず、
不気味である場合だ。
意図が不明なことは、それだけでストレスで、
なぜそんなことをしたのかわからない行動は、
謎だけでなく恐怖もあるよね。

悪の組織はたいていそうだ。
完全に意図が分からないから、不気味なのだ。
あるいは、好きなあの子の気持ちもクローズドだ。
だからその意図や気持ちを推し量るような、
いろいろな行動や発言があるわけだ。

あるいは、
謎の行動や発言をしておいて、
あとで明かすパターンもある。
ある時期はクローズドだが、
「実はあの時こうしようとしていたのだ」
「実はこういう事情があったのだ」などと明かされ、
オープンになるシーンは、
物語的である。

意図せざるクローズドになるパターンは、
脚本の初心者にとても多い。
本人はオープンのつもりで書いているのだが、
いつの間にか「なぜそれをするか分からん」「なんでそれをしないのか分からん」になってしまい、
意図的でないクローズドが発生して、
とても退屈を生むことがある。
作者の意図と表現されたものが異なるから、
それは滑っているということだね。



さて、
そういうものがないと仮定して、
作者が完全に支配権を握っているとして、
オープンとクローズドを使い分けているか?
という話がようやく本題だ。


たとえば、ずっとオープンだった人が、
急に意図の分からない行動をして、
周囲(と観客)を混乱させることがある。
しかし、「あとで理由を言うよ」と一言あれば、
そのクローズドがオープンになる瞬間を、
みんな待つことになり、
その理由が明かされたときには、「なるほど」と思うだろう。
(そうならないものは出来が悪い)
「俺に考えがある」というシーンとかはそれの代表だよね。

クローズドがオープンになるシーンはいろいろなパターンがある。
自らしゃべる場合もあれば、
証拠が出てきて察せられる場合もあれば、
誰かが言う場合もあるだろう。
ニュースで発表されるパターンもあるだろう。
「会社の不正をニュースで知った会社員」というのは、
なんか最近よくあるパターンな気がする。
クローズドの闇がオープンになったわけだね。


オープンからクローズドへ、
クローズドからオープンへ、
移行するシーンは必ずターニングポイントになるだろう。
焦点が変わるわけだからね。
これをうまく使って、AストーリーやBストーリーのターニングポイントと重ねると、
劇的になるだろう。
(例 「俺に考えがある」と作戦を遂行して、
それが成功して事態が進み、
「実は〇〇だったのだ」とその原因を明かす
例 「バイトで会えない」と恋人が冷たくなり、
不満だったら、実は誕生日プレゼントを買うために、
必死で働いていた)

オープンとクローズドを、
こうやって使い分けよう。

プロット段階で考えるべきこともあるだろうし、
執筆時点でここをこうしようと思いつくこともあるだろう。
ポイントは、
「これはこういう流れになるのは当然」という流れがあるかどうかと、
「その流れだとこれはおかしい、へんだ」ということがわかるかどうかと、
「その意図や行動に感情移入していて、
ぜひそれはそうなるべきだと見守っている状態」
になっているかどうか、
が大事なところだろう。

つまりこれは、
ストーリーそのものというよりは、
語り口がうまくいっているか、
というチェックがないと使いこなせないだろうね。
脚本だけを見ていてもわからない。
「今これを見ている人の気持ちはどうなっているか」
がわかっていないと、
使えないテクニックだろう。

物語はジャーナリズムではない、
というのは、
こうした観客の気持ちを揺さぶるように組み立てている、
ということも関係する。
事実関係の報告をしても面白くないんだよ。
posted by おおおかとしひこ at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック