昔の漫画ではよくあったけど、
最近の漫画であるのかね。
あんまり見たことがないが。
肩の上に自分と同じ顔をした天使と悪魔がいて、
悪魔が「いいだろ、盗んじまえ」と言うのに、
天使が「困ってるかもしれないよ、返してきなさい」
なんて言い返して、
本人が「ああー、どっちがいいんだ?」って困るやつ。
つまり、天使と悪魔は、自分の中から分かれた二つの人格で、
正義と悪の極端な人格、
といえるだろう。
それらがコンフリクト(衝突、喧嘩、もめごと)を起こしているわけだね。
物語を書くという行為は、
まさにこのようなものだと僕は考えている。
どんなに主人公を自分と離したとしても、
どんなに他人をモデルにしたとしても、
結局主人公は自分から生まれた、
部分的自分である。
どんなに自分と離したとしても、
悪役も、
自分の部分的な人格だ。
モデルがいたとしても、
自分が書く以上、
「そのモデルになった人物の中に見つけた、
自分の部分的人格」
が動くことになるだろう。
逆に、だからこそ、
いろんな状況でアドリブで書けるわけだよね。
「こういうときはこのようにする」というマニュアルがあるわけじゃないから、
ある場面が来たとしても、
そのキャラなりの判断基準や価値基準で、
そのキャラっぽい行動や発言ができるのは、
自分の中の、
そのキャラっぽい部分人格が働いているからだと思われる。
その両極端なものが、
主人公と悪役、ということだ。
正義と悪の話ならば、
あなたの中の正義の人格と、
あなたの中の悪の人格が戦うわけである。
男女の話ならば、
あなたの中の男的な人格と、
あなたの中の女的な人格が、仲良くなったり喧嘩したりするのである。
上司と部下が揉める話ならば、
あなたの中の上司的な(先輩的な)人格と、
あなたの中の部下的な(後輩的な)人格が、
揉めるわけだ。
アメリカ人とロシア人が戦争する話ならば、
あなたの中のアメリカ人的な人格と、
あなたの中のロシア人的な人格が、
戦争をするのである。
アメリカ人やロシア人はあなたの中にいないかな?
取材するといいよ。
アメリカ人といっても色々いるだろうが、
あなたが理解したアメリカ人的な人格、
でいいと思う。
ロシア人も同様で、
喧嘩するならば、なるべく対比的にするだろうね。
だから、
取材していく中で、
アメリカ人とロシア人の決定的な違いは何か、
何が根本的に相いれないのか、
ということを研究することになるだろうね。
で、結局それって、
「自分の理解した彼ら」だから、
結局は、「最初から自分の中にいた人格」で、
それらを対決させることになるのは、
変らない、というわけだ。
だから、
あなたは最低でも二つの部分人格に対して、
変化をつくらないといけない。
ある人格は成功して、もう一方は失敗する。
どちらもあなたであり、
どちらもあなたの全部ではなく、部分的な他人である。
つまり、
物語とはあなたという人格の部分人格の、人生シミュレーションなのだ。
とはいえ、
完全に自分だとメアリースーになり、
ご都合で幸せになってしまうから、
突き放せるように、
他人だと認識できる何かにしておこう。
悪役に思い入れをしすぎて、
丸くなってしまったオーガ(刃牙)みたいにならないようにな。
オーガは負けるべきだった。
息子を強くするための手段として立ちはだかり、
息子の成長を喜んで死ねば、
伝説の悪役になれたのになあ。
このように、自分と切り離せないものになってしまうと、
失敗するので注意せよ。
肩の上の天使と悪魔だ。
肩には乗っているが、
あなた自身ではない。
その距離感でやるといいだろう。
2023年09月27日
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