2023年09月28日

今なんの話してんの?

●話が下手な人を見ると、話が上手いとはどういうことか、
を知ることができる。

●たとえば女さんが、
自分の話の前提や主語なしで延々話してて、
今なんの話してんのか全然わからないときあるじゃん。


あれなんでなんだろうな。
女たちは無主語無前提で話を進められるのだろうか。

あれのあれの話をこないだしてたから、
その続きをしている、
という風になってるんだろうか。


●人の話というのは、
あ、と思いついてランダムに繋がることがよくあるので、
論理的にわかりやすく話すことと、
対極的なことがよく起こる。

それを、
論理的に再構築して話しなおせば、
分かりやすい話に、
そのカオスのまま出すと、
わけのわからない話になる。


●ただ、女さんたちは、
話の内容及び解決が焦点ではなく、
「この気持ちを共有したい」が、
話の目的である可能性が高いため、
だとしたら、何の話かはどうでもよく、
その事態がどうなってるかはどうでもよく、
「その気持ち」だけに寄り添えば、
対応としては正解のことが多いね。

「車のライトがつかないの」の有名なコピペは、
「困ったねー。それはつらいねー。
そうだ、JAFを呼べば?
不安なら僕がついててあげる」
が正解であり、
「自己解決の診断方法」を求めているのではない。

逆にいうと、ライトがつかなくても、
朝まで一緒にいてあげればいいんだってさ。

だから女は問題解決できないのだ、
とつい断言したくなるが、
そんな女ばかりではないことを期待したい。
あるいは、
毎回そうではないし、そっちにぶれることもあろう。

それに対して比較的安定している男どもは、
問題解決に対して24時間冷静なことが多い。
そうでもなければ数学に楽しみを見いだせまい。


●さて、男女論はとりあえず置いておくとしても、
話が下手な人の特徴は、
「今なんの話をしてるのか?」
がちょいちょい行方不明になることだ。

「今これだけ必死なのだ」
「今これだけ悲しいのだ」
「今これだけ楽しいのだ」
「今これだけむかついているのだ」
と気持ちだけが先行してても、
「なんでだっけ?」
が理解できないと、
女さんの下手な話を聞いてる気分になるってことだ。

だからといって、
「今から○○の話をします、
今こうでこうでこうなってます、
はい、では話を始めます」
をいちいちやってたら、
めんどくせえやつとなるに違いない。

ただ、
「わからない」下手さよりも、
まだ誠実ではないないかと思う。

単に説明が下手なだけであって、
そこを上手くなればいいだけで、
説明してないから観客がおいてけぼりになってることに、
一生気づかないよりマシだからだ。


●つまり、
話の上手い人は二つの機能を使っている。

・分からない人には、状況を説明して、
 何がポイントで、何に注目すればいいか(焦点)を、
 分からせてから本題に入る

・分かる人には適宜省略して、
 さっさと本題に入る

この二つを使い分けるには、
「今観客の理解はどうなってるか」
という嗅覚が必要である。

その嗅覚を働かせるためには、
「自分が観客だとしたら、
この話をどう理解していくか?」
というシミュレーションが重要なわけで、
いちいちシミュレーションしなくても観客人格が内在化されている人が、
表現者としてすぐれているわけ。


自分の感覚だけを優先したら、
後者だけになってしまい、
訳のわからないものになるだろう。

分かるところを適宜省略して、
テンポよくガンガン進めないと、
夢中にさせることはできないだろう。

ということは、
あるブロックに割って、
ブロック冒頭でうまく設定して、
次のブロックに至るまで説明なしに、
うまくガンガン進められるシナリオが、
一番理想的だとわかると思う。


●シナリオの一幕が難しいのは、
全体を設定することと、
今この第一ブロックを設定することの、
二つをやらなきゃいけなくて、
説明過多になり、つまらなくなってしまうことだ。

うまくはしょりながら説明を後回しにしていかないと、
グッと入り込むことは難しい。


シリーズものの説明も難しいよね。
前回を見てない人に、前回の本質だけを抽出することは、
腕がある人しか出来ない。

女さんは、若い女とはかぎらない。
おばちゃんが大体そうだね。
ギャルや小学生でもそういう傾向があるのが、
カフェでよく聞いてるとわかるぞ。

もちろん、そうでない女もいるので、
全員がそうでないことは断っておく。



下手な話にならないことだ。
私たちは、話の上手い人になるべきなのだ。


ちなみにこの文章で、なんの話をしてるのか?
に当たるところに●を打っておいた。
なんか●がある、と気になったかもしれないが、
その機能を理解しながら読めてたら、
たぶんあなたは話が上手く、客観性があるだろう。

つまり話が上手い人とは、
砂被り席の感情や思いの流れにどっぷり浸かりつつも、
客観的な視座を持ち、
今なんの話をしてるのかちょいちょい竿をさして、
話の流れ全体をコントロールしてる人のことをいう。
名司会者みたいなもんだね。
posted by おおおかとしひこ at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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