2023年10月03日

執筆は植物に似ている

ような気がするので、
共通点を書いておく。


・根っこであれとあれがつながる、がある。
 ただ表面上の連続性だけでなく、
 深層の方でのつながりがないと書けない。

・接木ができる。
 ただ、あれもこれもとやると、
 繁茂しすぎて本質が見えなくなってしまう。

・剪定ができる。
 やりすぎると死ぬ。
 多少切りすぎたかな、と思っても、
 またうまく生えてきて整うことが多い。

・自然に任せてはびこらせて、
 正しい形になる確率は少ない。
 剪定や水やりなどの管理をきちんとやって、
 はじめて見れるものになる。

・しかし下手な剪定よりも、
 勢いに任せた成長点の力の方が強い。

・上手な剪定とは、まるで自然に力強く、
 のびのびと伸びたように見えるようにしたものであって、
 切った貼ったが気づかれたら下手なのである。
 (多くの初心者が、最初から最後までたった一回書けば、
 執筆が終わりと思うのはこのせい)

・切りすぎたものの接木は失敗する。
 生命力がある限界というものがある。

・自由な空間の方がのびのびするか、
 ある一定の囲いで囲った方が伸びるかは、
 その木の性質による。

・批判という日照りが続くと枯れる。
 評価という水やりをすると育つ。
 ただし水やりしすぎは根腐れする。

・機能しなくなったところは切除して、
 別のところから伸ばした方が復活しやすい。

・成長はとてもゆっくり。気が遠くなる。

・うまくいけば花が咲き、実がなる。



こんな感じかな。
剪定とか地下茎のつながり方を想像することは、
手慣れていないとわからないだろう。
水やりも上手下手があるものね。

シナリオ工学と称して、
シナリオを機械部品や電気回路のように捉える考え方がある。

じゃあパーツを使い回したりできるのかな?
昔の名品からパーツ取りだけできるのかな?
パーツ屋ってあるのかな?
ジャンクパーツを修理すれば使えるのかな?
自作キーボードで機械に触れれば触れるほど、
機械部品としてシナリオを捉えることの、
限界があるように思える。

人間の書くものである以上、
そしてそもそも楽しむ側が人間である以上、
生体に近いものなんじゃないかなあと考える。


というわけで、
植物に似てるなと感じた。

植物なら動物の手術より簡単でしょ、たぶん。
posted by おおおかとしひこ at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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