複数のキャラクターが出るのが、
映画というものだ。
その人の見せ場を用意しろ、
なんて巷では言われるが、
僕は「見せ場」ではなくて、
「そのキャラクターといえば、その場面」
だと僕は思う。
そしてそれは、
セリフではなく、絵による記憶にするべき、
というのが本題だ。
つまり、
それぞれのキャラクターがとても立つ目立った場面を、
絵で用意してあげるのがベスト。
つまり、
「そのキャラといえばその絵」が、
浮かんできやすくなるからである。
沢山のキャラが魅力的に描かれた、
ドラマ風魔を例にするか。
小次郎はどういう記憶?
最初の蜂退治、女子サッカーで大暴れ、
壬生とのチャンバラ、鞭で吊るされ、
などが記憶に残るね。
「小次郎といえばこの絵」で思い出される。
もちろん主役だから色んな絵があって、
途中で風林火山を持った絵や、
告白の場面なんかも記憶に残るよね。
竜魔は?
不知火戦、死鏡剣だろう。
必殺技は「絵によるそのキャラの記憶」になりえる。
項羽は?
悪ふざけのときや、何故か「流れ矢に注意」の看板の下にいた絵、
ほうら舞え!や、紫の炎の死ぬ場面だよね。
劉鵬や黒獅子は、
お参りの場面や岩持ち上げ、柔道の絵として記憶される。
姫子ですら塔の上の告白される場面や、
いつも総長室で苦悩した絵を思い出す。
蘭子は鞭や告白の場面だよね。
こんな風に、
「そのキャラならではの場面」を、
絵としてイコンにしてしまうといい、
という話だ。
あしたのジョーにマンモス西というキャラがいる。
もう西といえば鼻うどんだ。
減量に耐えきれず夜中屋台のうどんを食いに行って、
ジョーに見つかって殴られて、
鼻からうどんを出しながらごめんと誤る。
強いジョーや力石と違って、
人間の弱さをうまく表現した名場面だ。
西はボクサーとしては大成しなかったけど、
そういう人間の弱さを描く場面として、
強烈に記憶に残るわけ。
でも西の第一印象は、
刑務所の主、牢名主としての、
「ねじりん棒」や「落下傘部隊」だぜ。
鼻うどんが出る前は、
それが西の印象を決める絵(イコン)であった。
しかしそれは、鼻うどんに上書きされる。
そっちの方が強烈だからね。
これから分かることは、
第一印象は絵として記憶に残ると良い、
そしてそれを覆す更なる絵に残る場面をつくるべきで、
それがそのキャラの見せ場になると最高、
ということである。
またまたドラマ風魔に戻れば、
妖水なんて「八将軍最強の妖水さまを尊敬しろー!」
なんて絵になる場面で記憶されてるし、
麗羅は朱麗炎や死ぬ場面やビンタやパティシエとして、
記憶されるに違いない。
つまり、
我々脚本家の設計としては、
キャラクターとは動機や目的や、
行動やセリフなのだが、
観客に残るのは名場面の絵なのだ。
そして、そのキャラといえば、とその絵に紐づいた記憶になるわけ。
僕は普段ガワを馬鹿にしている。
それは、ガワ如きにだまされ、
中身を見失うミスが多いからだ。
逆にいうと、ガワというのはそれほど強力なのである。
ガワに左右されない中身をつくれるようになったときに、
初めてその強力なガワを使うべきじゃね?
と考えている。
で、もちろん「動機を象徴する絵」もいいんだけど、
「一番活躍した場面」や、
「一番そのキャラの本質に迫った場面」を、
絵として作ってあげようぜ、ということである。
最近リライトした「弾切りの一座」では、
新しく弥一郎を象徴する場面を足した。
今後弥一郎といえば、に思い出しやすい、
キャラの立った場面を追加した。
たとえば鉄砲を巻藁がわりに真っ二つにするとか、
スイカを木刀で割るとかだ。
こんな風になることで、
あとで「ああ、あれはこういう人(出てくるのは絵)」
になるようになるとよい。
見ている途中は、
最初は登場シーンや最初の活躍場面だろうが、
それがどんどんある絵に上書きされていくのが、
理想ということ。
名台詞とかちょっとした仕草とかは、
記憶として残りづらい。
音ではなく絵として強くないと記憶に残らないぞ。
ということで、
その場面はどういう絵として記憶される?
と立ち止まって考え直すと良い。
たとえば座って話し合ってるとか、
窓の外を眺めるなんてのは、
何の絵としての記憶にもならないぞ。
どんなにストーリーを左右する場面だとしてもだ。
2023年10月04日
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