2023年08月21日

面白さは何で決まるか

そろそろ専門的ではなく、
誰にでもわかる言い方をしなければ。


面白さとは、
それを知らない人を、
どれだけその面白さまで、
到達させるかの力をいう。


つまりは、
日本国全員、なんなら世界中の全員、
なんなら古今東西の人類全員を、
その面白さまで到達させられるのが、
もっとも面白いものである。

事前知識がバラバラで、
様々な文化背景を持っているにも関わらず、
その巻き込みが出来る、
間口の広さと吸引力。

そして面白さの本質そのものが面白いこと。
面白さを低くすれば全員が登れる山だけど、
それは面白さの絶対値としては面白くない。
(最近のIQ低めにあわせたつまらないテレビ)

山の高さを高くしただけで、
ほとんどの人が登れない面白さは、
下手くそな面白さでしかない。
誘導に失敗しているからだ。

だから、
「f1層向け」とか、
ターゲットを割ると言い訳できる。
これこれの人向けだから、
そこでヒットすればいいんだ的な。

それは自分たちの能力が低いことのいいわけだ。
f1層全員にヒットして、
それ以外の層にもヒットすればいいじゃない。
なぜそれを目指さない?
出来ないって言えないからだよね。


全員を、その面白さの頂に連れて行けるものが、
一番面白い。

そしてその面白さは、
過去のどれにも似てないこと。

我々の仕事は、
富士山のような、
何にも寄りかかっていない単独峰で、
しかも一番高くて、
しかもエスカレーターつきのやつを、
つくることである。

そのために議論するべきで、
意見を戦わせるべきである。



卑近な例を言おう。

「こないだあったすごい面白い話」をしゃべる時、
自分で笑っちゃってオチまで言えない人いるじゃない?
ストーリーとしては最低の出来だよそれ。
そのオチがどんなに面白くてもね。

「こないだあったすごい面白い話」を、
オチまできちんと理解できるように話せても、
それがそもそも面白くないなら、
それもストーリーとしては最低の出来だね。
posted by おおおかとしひこ at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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