2023年10月05日

名前がつくと、それが肉体を持つ

最近おもしろいなと思ったのは、
「蛙化現象」だな。
名前のないモヤモヤに名前がついた時、
一斉に広まった感じがあるね。


昔から知られる何かの、
名前違いかと思いきや、
なぜこれが起こるか詳しく分かってないのだそうだ。
そういう意味では「名前をつけること」
が「発見」になるわけ。

ウッディアレンの「アニーホール」の、
トップとエンドをブックエンドにするVO、
「僕を入会なんかさせるクラブに、
僕は入りたくない」
というのがとても好きなのだが、
蛙化現象と名付けられる40年くらい前に、
同じ感覚を言語化してたんだなあ。


名前がついた瞬間、
それは実在するようになる。

「なんか言語化しにくいのだが、
この感じをAと呼ぶ」
と仮に名前をつけてみよう。

Aと似てるが違うものを並べて、
Aと他の境界線を調べよう。

Aと真逆はあるのか、逆も考えよう。
Aの対偶はあるのか、それも考えると良い。
A以外の補集合から、Aを定義できることもある。
(不在の在みたいなやつ)

「それはAという感覚だね」
とリアクションを引き出す、
前の人の会話がつくれるだろうか?

「Aだろ」
「違うよそれはBだよ、Aは○○が○○○みたいな感じだろ」
「じゃあ○○○ならAか」
「たしかに」
に至るような流れを考えよう。

色んなパターンを考えてる時に、
そのうちいいネーミングができるさ。

仮にそれがXになったとして、
「Xと言われて誤解するもの」を考えるのも良い。
誤解しにくく、
言われて初めて「ああーそれの感覚わかるわー」
と新発見があるような、
言葉に練り直すと良い。


サウダージはいまだによく分からないのだが、
「そういう感覚」を言葉として共有してる文化もあるのだ。

エスキモーは雪の白を示すのに100の語彙を使うらしいが、
それを用いて表現された気持ちもあろう。
「俺の気持ちは今白の32だ」
なんてセリフで、
エスキモー人は話が通じるのかもしれない。


そんな風な、Aを見出そう。

そしてそれに名前をつけられたら勝ちだ。
出来ればキャッチーがよい。
「蛙化」はキャッチーだよね。
分かりやすく、キャッチーであれば、
それはこれから全人類が使う概念になる。

それは、文化をひとつ創造したことになるわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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