2023年08月23日

欠けた月の魅力

これを描けるようになると、一人前かもね。


どうやったら人に好かれるか?
どういうことが魅力というのか?
いろいろ考えるだろう。
ポジティブな魅力、ネガティブな魅力、
いろいろ考えるだろう。
で、いろいろなものを組み合わせて、
かけ合わせていくだろう。

それはまだプロレベルじゃないよ、という話。

引き算を使えて、はじめてプロレベルになる。
つまり、
かけ合わせて、足し合わせるだけじゃ、
人間の魅力には届かないことがあるということ。

月は満月だけが最高というわけではない。
三日月や宵待月の魅力というものもある。
半月もよい。
足し合わせたらよくなることもあるが、
足し合わせたから必ずよくなるわけではない。

三日月はなぜ魅力があるのか。
足し合わせていないからだ。
欠けた部分を想像させるからよいのだ。
人は完全ではない。
だから完全に魅力を感じるし、
平均から足りないものにも魅力を感じる。
前者は憧れ、
後者は「自分もああなっていたかもしれない」
と思う想像力でだ。

魅力とはポジティブなものだけとは限らない。
変な匂いが妙に好きとか、
不協和音が気持ちいいとか、
寒い空気が好きとか、
そういう良さもある。これをネガティブなものとしようか。
悪が魅力というのはこういうことの延長にあると思う。
(逆張りだったらなんでもいいと思う、中二病もあろう)

今議論していることは、この両極のどちらでもない、
欠けたものの魅力である。

サモトラケのニケは、
頭や腕がないからよいのである。
ミロのビーナスも、
腕がないからよいのである。
「もしこの欠けた部分を復元したとしたら」
というものを見たことがあるが、
どんなものを足しても、もとより良くなかった記憶がある。
欠けていて、どうなっているんだろうと想像してしまうことが、
存在することよりも魅力があることがある。

「ゴドーを待ちながら」でもゴドーは一切出てこない、
想像上のマクガフィンだ。
「桐島、部活やめるってよ」の桐島も同様である。
これが欠けていることで、
想像が膨らみ、他がよりよく見えることが、
実はこの不在の魅力のひとつだ。


人間が欠けていることで魅力的になる例は、
たとえば、ミステリアスな美女だろうか。
ある一面しか見えていないから、
他の面が欠けている、これは三日月の魅力である。
だから、
実はこういう性格でこういう生活をしている人でした、
なんてことが分ってしまうと、急に魅力がなくなってしまうよ。

完璧な人にわざと親しみやすい欠点を作るのも、
魅力づくりの計算だよな。
美人が天然だったりするのもそういうことだ。
ギャップをつくる、などと言われるが、
欠けた月をつくる、と考えたほうがわかりやすいのではないだろうか。
悪役でも完璧ではなくて、
どこか間抜けだったりすると、急に魅力が出てきたりする。

あるいは、何も持っていないやつが、
ひとつだけ持っていると、
欠けた部分が大きいが、残っている部分が輝く三日月のようになるものだ。
そのワンポイントで、
他も急によく見えたりすることがある。


足したり掛けたりするだけがつくることではない。
引いたり割ったり(欠けさせたり)することも、つくることだ。

引き算と考えるとパーツを引いてしまうが、
「皿を割ってから欠けさせる」と考えると、
多くを諦めて、残ったところだけを残すことができるかもしれない。

ちなみに、
ストーリーを欠けさせてはならないと思う。
「あれはどうなったんだ?」ってことが気になるからだ。
もちろん、気になることで歴史に残る、
というやり方もある。
いまだに「ニューシネマパラダイス」の、
姫様の窓の下で待っている兵士の気持ちは、
欠けた魅力を放っていると思う。



意図的ではないが、
結果的に良くなったのはドラマ風魔の壬生だ。
ヘタレでも魅力があったよね。
欠けまくっていることが魅力になるキャラクターは、
なかなか難しい。
計算でできたわけではないので再現性がないが、
いつかああいうキャラクターをまた考えだしたいものだ。

(ビジュアルでつくるのはわりと簡単で、
隻眼や隻腕、盲目にするといいよ。
何かが欠けていることが魅力になってくる。
もちろん、ビジュアルだけじゃなくて、
人間的な何かを欠けさせる、
というのが本題だけど)
posted by おおおかとしひこ at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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