これを描けるようになると、一人前かもね。
どうやったら人に好かれるか?
どういうことが魅力というのか?
いろいろ考えるだろう。
ポジティブな魅力、ネガティブな魅力、
いろいろ考えるだろう。
で、いろいろなものを組み合わせて、
かけ合わせていくだろう。
それはまだプロレベルじゃないよ、という話。
引き算を使えて、はじめてプロレベルになる。
つまり、
かけ合わせて、足し合わせるだけじゃ、
人間の魅力には届かないことがあるということ。
月は満月だけが最高というわけではない。
三日月や宵待月の魅力というものもある。
半月もよい。
足し合わせたらよくなることもあるが、
足し合わせたから必ずよくなるわけではない。
三日月はなぜ魅力があるのか。
足し合わせていないからだ。
欠けた部分を想像させるからよいのだ。
人は完全ではない。
だから完全に魅力を感じるし、
平均から足りないものにも魅力を感じる。
前者は憧れ、
後者は「自分もああなっていたかもしれない」
と思う想像力でだ。
魅力とはポジティブなものだけとは限らない。
変な匂いが妙に好きとか、
不協和音が気持ちいいとか、
寒い空気が好きとか、
そういう良さもある。これをネガティブなものとしようか。
悪が魅力というのはこういうことの延長にあると思う。
(逆張りだったらなんでもいいと思う、中二病もあろう)
今議論していることは、この両極のどちらでもない、
欠けたものの魅力である。
サモトラケのニケは、
頭や腕がないからよいのである。
ミロのビーナスも、
腕がないからよいのである。
「もしこの欠けた部分を復元したとしたら」
というものを見たことがあるが、
どんなものを足しても、もとより良くなかった記憶がある。
欠けていて、どうなっているんだろうと想像してしまうことが、
存在することよりも魅力があることがある。
「ゴドーを待ちながら」でもゴドーは一切出てこない、
想像上のマクガフィンだ。
「桐島、部活やめるってよ」の桐島も同様である。
これが欠けていることで、
想像が膨らみ、他がよりよく見えることが、
実はこの不在の魅力のひとつだ。
人間が欠けていることで魅力的になる例は、
たとえば、ミステリアスな美女だろうか。
ある一面しか見えていないから、
他の面が欠けている、これは三日月の魅力である。
だから、
実はこういう性格でこういう生活をしている人でした、
なんてことが分ってしまうと、急に魅力がなくなってしまうよ。
完璧な人にわざと親しみやすい欠点を作るのも、
魅力づくりの計算だよな。
美人が天然だったりするのもそういうことだ。
ギャップをつくる、などと言われるが、
欠けた月をつくる、と考えたほうがわかりやすいのではないだろうか。
悪役でも完璧ではなくて、
どこか間抜けだったりすると、急に魅力が出てきたりする。
あるいは、何も持っていないやつが、
ひとつだけ持っていると、
欠けた部分が大きいが、残っている部分が輝く三日月のようになるものだ。
そのワンポイントで、
他も急によく見えたりすることがある。
足したり掛けたりするだけがつくることではない。
引いたり割ったり(欠けさせたり)することも、つくることだ。
引き算と考えるとパーツを引いてしまうが、
「皿を割ってから欠けさせる」と考えると、
多くを諦めて、残ったところだけを残すことができるかもしれない。
ちなみに、
ストーリーを欠けさせてはならないと思う。
「あれはどうなったんだ?」ってことが気になるからだ。
もちろん、気になることで歴史に残る、
というやり方もある。
いまだに「ニューシネマパラダイス」の、
姫様の窓の下で待っている兵士の気持ちは、
欠けた魅力を放っていると思う。
意図的ではないが、
結果的に良くなったのはドラマ風魔の壬生だ。
ヘタレでも魅力があったよね。
欠けまくっていることが魅力になるキャラクターは、
なかなか難しい。
計算でできたわけではないので再現性がないが、
いつかああいうキャラクターをまた考えだしたいものだ。
(ビジュアルでつくるのはわりと簡単で、
隻眼や隻腕、盲目にするといいよ。
何かが欠けていることが魅力になってくる。
もちろん、ビジュアルだけじゃなくて、
人間的な何かを欠けさせる、
というのが本題だけど)
2023年08月23日
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