川が氾濫することは人類にとって当たり前であった。
護岸工事ができた昭和くらいまでは、
治水は人類の文化の象徴でもあっただろう。
ただし現代の我々はその実感がないから、
台風で氾濫した川を見て、想像するしかない。
で、身近な例で、等々力の話。
多摩川を挟んで、
東京川に等々力という場所がある。
等々力渓谷で有名で、
東京にもこんな静かな風景があるんだなあ、
とびっくりする場所のひとつだ。
そして、
反対側の神奈川県側にも、
等々力という地名がある。
等々力競技場があり、
川崎フロンターレのホームである。
これらが一緒の等々力だと意識したことが今までなかったのだが、
よくよく考えると、
ちょうど多摩川を挟んで向かい側、
ということを知った。
これはつまり、昔あった等々力という地に、
多摩川が氾濫して貫き、二つに割った、
ということなのだ。
へえ。
日本人が地名をつけたあとに川のせいで地形が変った例で、
おそらく日本中に似た例を見つけることができると思う。
実際に多摩川のその該当部分にいって、
かつてここと向こうはつながっていて、
それを多摩川が二つに割った、
というのを想像するのは難しい。
じゃあ割る前はどこを流れてて、
大雨でどう氾濫したんだよ、
を、頭の中のシミュレーションでつくることはかなり難易度が高い想像であろう。
多摩川の氾濫なんて、
せいぜい岸辺のアルバムの時か、
こないだの武蔵小杉うんこ事件くらいだろう。
(神奈川の堤防のほうが、東京川の堤防より低いんだよね。
万が一氾濫が起きたら先に神奈川に被害を流すように、
設計されている。
それは荒川も同様で、千葉側が先に被害が出るようになっている)
コンクリを発明する前の人類。
ダムを発明する前の人類。
そんなことを考えるのも、
想像力の訓練になるね。
なんとなく地形って自分たちが生きている間に変わらないものだと思っていたけど、
一回の洪水で変ってしまうもんなんだなあ。
そういうことが常識であった昔の、
自然観や土地観、人生観や縄張り意識って、
ずいぶん違ってくるんだろうなあと想像する。
日本人は台風や地震や氾濫が多い国ゆえの、
なんでも水に流す体質を持っていると言われる。
民族的な「世界はこうなっている」ということを想像するのも面白い。
もちろん、それらの異なる民族同士にあるコンフリクト、
アウフヘーベンによる解決は、
物語の醍醐味であるよね。
2023年10月09日
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