悪魔の取引など、物語にはよく出てくるものである。
それをしたいならば、それを差し出せ、というやつだ。
その代償が大きければ大きいほど、
ドラマチックになるだろう。
魂を差し出してまでやりたいほど、
動機が大きいか?ということになるからね。
つまり、代償は障害のひとつである。
その障害を乗り越えることが、
動機を表現できるわけ。
そして、悪魔の囁きがあったとして、
その代償と取引するか、それともチートせずにコツコツやるか、
ということもその人物の動機や人生観を見せることができるわけだ。
「ベルセルク」では、
グリフィスが悪魔に代償をささげて最強のゴッドハンドになる。
これは悪魔の取引であり、
グリフィスが悪役に落ちた瞬間である。
物語のテーマはこの悪魔の取引を覆すことであった。
(作者の死により未完結)
代償の大きさこそが、
それを乗り越える行動の価値や動機の強さを映し出すことができる。
もちろん唯一ではなくて、
ひとつの測定定規だと思うとよい。
あることをすごいことだと表現するのに、
代償を使うと、測定しやすいよ、
ということだ。
よくあるのは、
「〇〇の死を乗り越えて」だろうか。
その代償を支払ってまで、
これはやる価値があるのか? あるのだ、というストーリーは、
力強く前進するだろう。
あるいは、
会社、家族、財産、名誉、
先祖代々の土地、一生モテない呪い、
などなど、
いろんなパターンがあり得るだろうね。
腕一本持ってかれても構わない、
今ここで……!なんてのは少年漫画でもよくある。
動機の強さを代償を定規に表現しているわけだ。
問題は、
その代償は高すぎる、ないし安すぎる、
と思われてしまうアンバランスだろう。
高すぎる代償は引くし、
安すぎる代償はご都合に見えるだろう。
「今からかわいい女の子に手を振ってもらえるぞ。
その代わり貴様の命をもらおう」
「今から世界の支配者にしてやろう。
その代わり貴様の消しゴムをいただく」
なんてのは極論だが違うということだ。
(ギャグならOK)
この女の子が推しのアイドルならば本気はあり得るし、
すでに世界の支配者ならば響かない代償になるかもしれない。
代償は、だから相対的に決まるということだ。
どういう代償があるか?
障害を考えるうえで、代償はつねに考えるべきことだ。
コストと言ってもいいが、失うと怖いのは何か、
という恐怖の面から考えるのも、
それを犠牲にしてまで、と考えるチャンスになるよね。
2023年10月14日
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