2023年10月24日

映画は変化を描き、長期シリーズは定番を描く

と考えるとわかりやすいかもね。


物語は、
基本的に変化を描くものだ。

あるところから出発して、
目的をもってどこかへ行き、
それが達成した(ハッピーエンド)、
ないし別の結末を得ることで、
その影響を受けて変化する。

周囲の状況も変わり、
主人公の内面も影響を受けて変化するだろう。

良い方向への変化を成長と呼び、
悪い方向への変化を闇堕ちとかバッドエンドと呼ぶ。

だから、
原理的には初期状態に戻らない。
戻るものは変化ではなく平行移動だ。
仮に空間的に平行移動しても、
本質が変化してなければ、
元に平行移動で戻れば終わりだ。

平行移動ではなく、
本質が変化してしまうことを描くのが、
一般的な物語であり、映画である。


これと似て非なるものに、
長期シリーズがある。
漫画、人気シリーズドラマ、小説、アニメなどを想定するとよい。

これらは、一見物語形式でありながら、
「変化しない」を狙う。

キャラ設定や世界設定が受けたため、
なるべくこれを長期政権化して、
長く稼ごうという戦略だ。

だからドラえもんやのび太は変化しないし、
ガンダム世界も変化しないのだ。
(アムロやシャアは、変化したから退場した)

長期シリーズは、
「あの○○を見たい!」という欲望で支えられている。
動物園と同じかな。
ライオンが見たいという欲望と、
ガンダムが見たい欲望は同じところにいる。

事件が起こり、
物語形式をつかい、一件落着するのであるが、
成長や変化をせず、
「また元に戻る」ことをする。
このループが楽しくて、
長期シリーズは続く。


もちろん、一部退場や一部新キャラはあるが、
一旦レギュラーメンバーが確定したら、
そのループをなるべく長く伸ばすことが、
世界の維持の目的になる。

バラエティのメンバーもそうかもね。
我々は近所の社会や会社のメンバーや、
コミュニティに属し、それを快感としたいのだ。

だから、毎度毎度その世界にアクセスする。

変化をしてはいけない。
稼ぎ頭である世界観が壊れるからね。

ドラえもんに急にライバルの犬型ロボットは出てこないし、
ガンダム世界でモビルスーツがドローンに技術革新することはない。
のび太は大人にならないし、
各キャラは結婚したり離婚したり転職したり、
宗教を変えたりしない。
キャラ変しないことが、
世界の維持の秘訣である。


つまり映画と真逆だ。

映画は変化を見ることが目的と考えてもいいくらいだ。
AがどうBに変わるかの娯楽だ。
そのために全ての理論が構築されている。

しかし長期シリーズは、
Aが引っ掻き回されて、Aに戻るまでを描き、
またAが引っ掻き回されて…
のループをするのである。

だから、
漫画はキャラの方がストーリーより重要とされる。
「ずっと飽きられない魅力のキャラ」
をつくることが、
ループを長く回すコツだからだ。

引っ掻き回されて元に戻るなら、
極論ストーリーはそこまで重要ではない。

港に着いた安心感が重要で、
航海はまあなんだっていい。
旅するときに、
目的地に行き何かをすることが重要か、
どこへ行ってもいいが、
仲の良いこの人たちと行きたいかが重要か、
という話である。

前者が映画で、後者が長期シリーズだ。

一回切りの興行と、
なるべく長く興行を続けるものの、
本質的な差だ。


世の中に「ストーリー理論」的なものは沢山転がっていて、
ここもそうしたものを展開し続けている。

僕は映画脚本論を書いているが、
ちまたには漫画の脚本論を書いてる人もいる。

混同しないことだ。


もちろん、互いに参考になる部分はあろう。
多くの技術は共通している。

しかし、大元の目的が違うことは、
理解しておくと良い。

一回きりの大冒険と大きな変化か、
その世界をずっと維持したいがためのかき回しか。

長期シリーズの場合、
冒頭部分は組み合わせになることがある。

映画の冒頭のように、
否定されるべき日常世界を描き、
目的が発生して、
非日常世界へ飛び込む。

映画はここから変化を経験していくが、
長期シリーズは、
この魅力的な非日常世界でループし続けることが目的だ。

だから漫画の第一話は、
映画の第一幕と二幕の非日常世界と、
一旦のクライマックスをもってきて、
これから非日常世界での毎日が始まる、
という風な構成がとても多い。

二話以降は、
素敵な世界での日常→事件→解決→もとに戻る
のループになるわけだ。
あとはその事件がどれだけデカイ山かどうかだけだ。


映画は三幕構成をもって変化を語る。
長期シリーズは、
その一部だけ持ってきてオープニングに使う。

そんな感じ。

もちろん、動機や目的や、
サブプロットや外的目的や内的目的、
秘密や嘘や伏線や解消などの、
同じテクニックを共通して使える。

だからとても似ている。
しかし本質的な部分で異なる。


両方書いてみると、理解が早まると思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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