2023年10月26日

「悪くない」のは「すごく良い」まで直せ

つい自分の原稿は甘く見てしまう。
「うん、まあ悪くない」
「思ったより良い出来だ」
「結構いけた」
などである。

これって、何もしらない忖度しない観客から見たら、
「微妙」一択だぞ。


まあ悪くない、と判断するのは、
何かしらいいところがある。
しかし、
「すごく良い出来」にならないのは、
何かしら問題点があるわけ。

ということは、改良の余地がある、
ということだ。

「とても悲惨な出来で、手術の施しようがない」
じゃないだけ、まだ希望はある。
しかし、
「悪くないから、直したくない」
という逃げは、
微妙という評価にとどまるということだ。

つまり「悪くない」という自己評価は、
真実から目をそらしているわけだね。

この、自分の心理に気づくことだ。


他人の作品で評価するのは何?
「悪くない作品」?
そうじゃないよね。
「すごく良くて、忘れられないもの」だよね。
「あまりにも感動して、一生影響を受ける」ものだよね。

そうなっていないんなら、
全部失敗作だぜ。

興行的な大コケとか、
批評的失敗とかどうでもいい。
真実に誓って失敗なんだ。


だとしたら、
「すごくよいもの」に改良するしかないじゃないか。

それが難しくて、
逃げたくなるような難しさだから、
「まあ、悪くない」なんて言ってしまうのだ。


どうすればいいか?
俯瞰して、砂被りまで下りて、
気になるところは全部チェックすることだ。
それが全部なくなり、
真っ白な感動になればOKだ。

だから、うるさい客にならなければならない。

文句は全部言え。
「全然感動しないぞ。微妙な感情が励起されるだけだ」
と文句を言ってよい。

それを避けていたら、いつまでたっても微妙な作品しかできないぞ。


評価は正しく言え。
「突き抜けるほど良くない」と言え。

だから、突き抜けるまでリライトするしかないのだ。
悪くないとか、結構よいとか、要らないのだ。

そこまでやって初めて、
まあまあ行ける、というものにしかならないよ。
それくらい自己評価というのは甘めに出る。

あなたの理想の作品を思い浮かべよう。
それに負けているなら、負けているのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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