つい自分の原稿は甘く見てしまう。
「うん、まあ悪くない」
「思ったより良い出来だ」
「結構いけた」
などである。
これって、何もしらない忖度しない観客から見たら、
「微妙」一択だぞ。
まあ悪くない、と判断するのは、
何かしらいいところがある。
しかし、
「すごく良い出来」にならないのは、
何かしら問題点があるわけ。
ということは、改良の余地がある、
ということだ。
「とても悲惨な出来で、手術の施しようがない」
じゃないだけ、まだ希望はある。
しかし、
「悪くないから、直したくない」
という逃げは、
微妙という評価にとどまるということだ。
つまり「悪くない」という自己評価は、
真実から目をそらしているわけだね。
この、自分の心理に気づくことだ。
他人の作品で評価するのは何?
「悪くない作品」?
そうじゃないよね。
「すごく良くて、忘れられないもの」だよね。
「あまりにも感動して、一生影響を受ける」ものだよね。
そうなっていないんなら、
全部失敗作だぜ。
興行的な大コケとか、
批評的失敗とかどうでもいい。
真実に誓って失敗なんだ。
だとしたら、
「すごくよいもの」に改良するしかないじゃないか。
それが難しくて、
逃げたくなるような難しさだから、
「まあ、悪くない」なんて言ってしまうのだ。
どうすればいいか?
俯瞰して、砂被りまで下りて、
気になるところは全部チェックすることだ。
それが全部なくなり、
真っ白な感動になればOKだ。
だから、うるさい客にならなければならない。
文句は全部言え。
「全然感動しないぞ。微妙な感情が励起されるだけだ」
と文句を言ってよい。
それを避けていたら、いつまでたっても微妙な作品しかできないぞ。
評価は正しく言え。
「突き抜けるほど良くない」と言え。
だから、突き抜けるまでリライトするしかないのだ。
悪くないとか、結構よいとか、要らないのだ。
そこまでやって初めて、
まあまあ行ける、というものにしかならないよ。
それくらい自己評価というのは甘めに出る。
あなたの理想の作品を思い浮かべよう。
それに負けているなら、負けているのだ。
2023年10月26日
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