2023年10月27日

期待が常に含まれている

サッカーは11人でやるものだが、
12人目の選手がいるという。
観客である。

映画も同じだ。
登場人物だけを考えていては、成立しない。
観客の気持ちというものがある。


脚本を考えているとき、
登場人物の動機、目的、行動、
今何に必死になっているのか、という焦点、
センタークエスチョン、などなど、
気にするべきことは沢山ある。
そしてそれらが、各登場人物分ある。
それらのタペストリーを編むことが、
ストーリーを作ることである。

さて、
進行している状態のとき、
各登場人物の気持ちや進行だけを考えていればいいだろうか?
そうではない、というのが本題だ。

それは所詮ストーリー内部のことに過ぎない。
ストーリーの外のことまで見えているか?
ということだ。

それは、「観客は期待しながら見ている」ということだ。

仮にパンチラがあったとしよう。
観客は期待する。
次もパンチラがあるかもしれないと。
あるいは、もっとすごいものがあるかもしれないと。
それに応えないのは、
観客が失望するわけ。

仮にストーリーに関係なくても、
パンチラが一回期待されたら、
その期待はずっと続く。
待っててもそれが来ないなら、
関心は離れて、もう見なくてもいいや、
となるわけ。

単にエロでいいか、というわけではない。
パンチラはもののたとえだ。
観客は何を期待しているか?だ。

主人公の活躍だろうか?
トラウマを克服する場面だろうか?
ずっとほしかったものを得るシーンだろうか?
こいつは活躍するぞ、という期待だろうか?
すごいことが起こりそう、という期待だろうか?
この伏線はあとで驚きとともに解消するぞ、
という期待だろうか?
この世界の果てはどうなっているんだろうというワクワクか?
あることを言ったとして、それに良い返事があることだろうか?

それは、ストーリー進行上期待させるものもあるし、
とくに関係なくても、
勝手に発生するものもある。
かわいい子が出てきたら、かわいいシーンが欲しくなる。
かっこいい人が出てきたら、かっこいいシーンを求める。
爆弾が出てきたら、爆発することを期待する。
押すなよ、と言ったら押すことを期待する。

なんでもよい。
期待は勝手に生まれる、ということだ。

観客の気持ちがわからない人は、
この観客が勝手に妄想して、期待している、
ということをわかっていないのだ。

また、
期待だけではない。
不安や心配もある。
これはダメになるんじゃないか。
このままだと死ぬんじゃないか。
大丈夫と言ってるけど、だめなんじゃないか。

もちろん、ストーリー上そういう風に誘導するんだけど、
意図しない期待や不安が生まれることもとても多い。
「この作者を信用していてよいのか?」
というのはもっともポピュラーな心配の一つだろう。
それは、あらゆる期待に応えないときや、
あらゆる心配が解消しないときに発生するだろうね。

もちろん「ついてきてよかったー」というカタルシスもあるから、
ずっと不安にさせることは、
ある種のテクニックの場合もある。
しかし、意図せずそうなっているケースが、
ほとんどだと思う。


今観客は期待しているか?
ちょっと前に期待したことをまだ引きずっているか?
今観客は不安になったか?
前の不安を解消しないから、
不信になっていないか?

その気持ちさえ読み取れれば、
それをコントロールしていけるわけ。

エスパーじゃあるまいし、
まだ見ぬ人の気持ちなんて読めるの?
読めるよ。
あなたがプロ観客であればね。

プロ観客とは、
すべての観客の代表的な目線で見れる能力のことだ。
一番フラットな見方と思ってよい。

我々は人間だから、
ある程度偏った見方をしてしまうものだが、
プロ観客として見るときは、
その偏りを消して、
代表的な反応で見ていくものだ。
そのイマジナリー観客が自分の中にいるかどうか、
ということだね。

それはどうやったら鍛えられるだろう?
いつもメジャーを見ることだね。
プロ観客は集合的無意識といってもよい。
それは集合的無意識に触れることでしか、
内面化できないだろう。

「この歌が流行っている」と聞いたときに、
「なんで?」と思うか、
「ああ、聞いたことなかったけど、これはいいね」
となるかは、
プロ観客の感性があるかどうかの見極めになる。

「僕は嫌いだけど流行るのはわかるよ」ならさらによい。
自分の評価とプロ観客の評価を分けて考えていることができるわけだからね。

そういう別人格を育てることだね。


ほんとうの観客は、
登場人物の気持ちや行動とは別に、
期待や不安を持ちながら見ている。

それは、結末を見ていないからだ。

一回見たやつなら、
全部知ってるから、期待や不安もないだろう。
でも優秀なストーリーは、
二回目なのに、一回目と同じように驚いたり、
期待したり不安に思えたりするものだ。

どうやればいいのかはまだわかっていないが、
優秀なものにそういうものが多いのは、
経験的にわかっていることだね。


ということで、
期待と不安を感じながら読もう。
それを可視化しながら読んでいく、
つまりメモを取りながら読むのも有効だ。
「これで〇〇を期待してしまう」
「〇〇のフラグなんじゃないのこれ?」
なんてことを思いながら、それをメモするといいよ。


期待や不安は、
登場人物やイベントやプロットラインだけ見ていると、
見失いがち。
もっと視界を広くとらえよう。
posted by おおおかとしひこ at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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