2023年11月01日

個々のパーツがいいのに全体が良くないのは、統合が良くない

パーツパーツは良い。
しかしそれらをつなげた時によろしくない。
それは、統合の仕方に問題がある。


美人を考えよう。

パーツパーツが全て美しく、
パーフェクトなバランスだろうか?

実はそうではないことが多い。
あるパーツは美しく、
あるパーツは個性的であることが多く、
それらの組み合わせの妙として、
美人はできている。

仮に、
全部のパーツを、
最高の美人のものから集められるとしよう。
それらを並べても、
平凡なきれいな人しかできないよ。

もしPhotoshopがあるなら、
やってみるといい。

昔グリコのCMで、
AKBの顔のパーツを集めて作った架空のアイドル、
江口愛実なる企画があった。
AKBの顔が平均化された、
結構無個性な顔だった記憶がある。

日本人の顔を平均して作った顔なんてたまにあるよね。
平均化するとつまらなくなる。
個性は突出から生まれるわけ。


つまり、
整ったパーツだけで組み合わせても、
大抵面白みがない。
ヘンテコなパーツを、バランスよく整える方が、
尖って、おもしろくなるわけ。

つまり、
パーツが重要なのではなく、統合が大事なのだ。

統合のために、パーツ単体で良かったものを、
崩すことすらあるぞ。


どんなにシーンシーンがよくとも、
第一ターニングポイントが40分になってしまうようなシナリオは、
第一幕が長すぎて詰まらないだろう。
そのためには、
パーツを歪にしたとしても、
25分ないし30分に統合し直したほうが良い。

あるパーツと似たパーツを並べたら詰まらない。
あるパーツの後には、逆のパーツを並べた方が面白くなる。
それが出来が悪くとも、
全体のリズムが整うならそうするべきだ。

つまり、
出来はそのパーツ単体ではなく、
「全体の統合に機能しているか?」できまる。


もちろん、
感情移入して、
身を乗り出すのは、
シーンシーンの個々のパーツがよいからだ。
しかしそれだけでは、
全体としてのめり込むとは限らない。
なぜなら、
パーツ単体は、パーツ単体の時間でしか、
人の心を動かさないからである。

その動かされた心が、
次どこへ動かされていくのかを決めるのは、
全体の構成であり、
パーツ単体ではない。

だから、次こちらへ見る側の心が行くべき、
という計算の方が、
パーツパーツの出来よりも、
上位概念にいて、
その設計方針が間違っていたら、
どんなディテールも意味をなさないのだ。



せっかく良い出来のディテールは、
こうして全体の計算が悪くて死んでいく。
そんな例はたくさんある。

個々はいいのに全体の統合に問題がある場合、
大体こういうケースが多い。

パーツ美人でしかなくて、
全体のバランスの悪い美人なわけ。

じゃあ、パーツパーツの出来は多少悪くても、
あるいは、
パーツの出来を悪くしたとしても、
全体のバランスを取り直すべきなのだ。

それが出来るのは、
全体を指揮するシナリオライターのみである。



美人の顔をレタッチしてみよう。
パーツパーツが全て美人でないことを知ろう。
美人の顔を崩すのは簡単で、全体のバランスを崩すと良い。

逆に、ブサイクの顔のバランスだけ整えると、
見れるものになってくることに気づこう。

あるいは、パーツをすべて美人のものをそろえて、
変なバランスで並べてみよう。

結局、全体の統合だとわかるだろう。


場面場面は良いのに、
上手くいかないのは、
もっと上位の流れを意識すること。

それはもっと上の文脈では、
どのような流れの中にいる?

posted by おおおかとしひこ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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