パーツパーツは良い。
しかしそれらをつなげた時によろしくない。
それは、統合の仕方に問題がある。
美人を考えよう。
パーツパーツが全て美しく、
パーフェクトなバランスだろうか?
実はそうではないことが多い。
あるパーツは美しく、
あるパーツは個性的であることが多く、
それらの組み合わせの妙として、
美人はできている。
仮に、
全部のパーツを、
最高の美人のものから集められるとしよう。
それらを並べても、
平凡なきれいな人しかできないよ。
もしPhotoshopがあるなら、
やってみるといい。
昔グリコのCMで、
AKBの顔のパーツを集めて作った架空のアイドル、
江口愛実なる企画があった。
AKBの顔が平均化された、
結構無個性な顔だった記憶がある。
日本人の顔を平均して作った顔なんてたまにあるよね。
平均化するとつまらなくなる。
個性は突出から生まれるわけ。
つまり、
整ったパーツだけで組み合わせても、
大抵面白みがない。
ヘンテコなパーツを、バランスよく整える方が、
尖って、おもしろくなるわけ。
つまり、
パーツが重要なのではなく、統合が大事なのだ。
統合のために、パーツ単体で良かったものを、
崩すことすらあるぞ。
どんなにシーンシーンがよくとも、
第一ターニングポイントが40分になってしまうようなシナリオは、
第一幕が長すぎて詰まらないだろう。
そのためには、
パーツを歪にしたとしても、
25分ないし30分に統合し直したほうが良い。
あるパーツと似たパーツを並べたら詰まらない。
あるパーツの後には、逆のパーツを並べた方が面白くなる。
それが出来が悪くとも、
全体のリズムが整うならそうするべきだ。
つまり、
出来はそのパーツ単体ではなく、
「全体の統合に機能しているか?」できまる。
もちろん、
感情移入して、
身を乗り出すのは、
シーンシーンの個々のパーツがよいからだ。
しかしそれだけでは、
全体としてのめり込むとは限らない。
なぜなら、
パーツ単体は、パーツ単体の時間でしか、
人の心を動かさないからである。
その動かされた心が、
次どこへ動かされていくのかを決めるのは、
全体の構成であり、
パーツ単体ではない。
だから、次こちらへ見る側の心が行くべき、
という計算の方が、
パーツパーツの出来よりも、
上位概念にいて、
その設計方針が間違っていたら、
どんなディテールも意味をなさないのだ。
せっかく良い出来のディテールは、
こうして全体の計算が悪くて死んでいく。
そんな例はたくさんある。
個々はいいのに全体の統合に問題がある場合、
大体こういうケースが多い。
パーツ美人でしかなくて、
全体のバランスの悪い美人なわけ。
じゃあ、パーツパーツの出来は多少悪くても、
あるいは、
パーツの出来を悪くしたとしても、
全体のバランスを取り直すべきなのだ。
それが出来るのは、
全体を指揮するシナリオライターのみである。
美人の顔をレタッチしてみよう。
パーツパーツが全て美人でないことを知ろう。
美人の顔を崩すのは簡単で、全体のバランスを崩すと良い。
逆に、ブサイクの顔のバランスだけ整えると、
見れるものになってくることに気づこう。
あるいは、パーツをすべて美人のものをそろえて、
変なバランスで並べてみよう。
結局、全体の統合だとわかるだろう。
場面場面は良いのに、
上手くいかないのは、
もっと上位の流れを意識すること。
それはもっと上の文脈では、
どのような流れの中にいる?
2023年11月01日
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