これは文章を書いてる人じゃないとわからないこと。
「頭の中に思考が湧き出して、
それを書き写すことが書くこと」
という書くモデルはまちがっている。
実際には、
「思考を文章で書くと、
その刺激により別の思考が生まれる。
その思考のうち、
意味の繋がる文章のみが書かれ、
そこから別の思考が生まれる。
以下ループ。
書かれなかった思考はジャンクとして脳内にたまり、
いつか文章化されるための棚におさまる」
という感覚だ。
だから、
文章を書くには、その呼び水の文章を書くことが必要だ。
小泉構文で言えば、
文章を書くには、文章を書かなければならないのだ。
「書いたことによって次の思考が進む」
というモデルにおいては、
「書くことの体験が思考を上手になぞっている」
ことが大事である。
思考をなぞっていない配列、
たとえばqwertyローマ字やJISカナ、
おそらく親指シフトも、
だと、
次の思考を連れてくるような動きではないのである。
次の思考を連れてくるには、
文章を書くことが思考することに近いべき。
薙刀式のよいところは、
手の動きが思考に近いことである。
リズムや筆運びの感覚が、だ。
なので、
スラスラ、と書いた感覚が次の思考をうながし、
また次のスラスラを導きやすくする。
だから、ずっと思考を続けている感覚になりやすい。
「100の思考が脳内にあり、
それをアウトプットする作業としての書くこと」
というモデルでは、
100の分量のことしか書けない。
「30の思考を吐き出したら、
また30の思考が生まれ、
それを吐き出したらまた…」
というモデルでは、
いつのまにか150、300と書いているはずだ。
脳はそのような小ループで、
報酬系が作られている気がするが、
脳科学は詳しくないので経験則。
薙刀式は、
後者の書き方にむいている。
親指シフトは、よく言われる言説を見る限り前者に向いてる気がするな。
打鍵が次の思考を連れてくるなんて、
聞いたことないもの。
前者の思考は発展性がなく、
硬直していると僕は感じる。
書くことが次の考えを連れてくる、
後者の思考のほうが、
発展性が高く、柔軟性があり、
微に入り細に渡り、書くべきことを書けると思う。
そのぶんとっ散らかりやすいので、
BSや編集モードの出番だね。
この感覚をどうやったら共有できるだろうか。
人によって思考形式や書くことのやり方も異なるのだろうか。
自分のやり方や実感が全てだと思い、
他の人も同じようにやってると思い込んでて、
その差異にまで気づかないのだろうか。
誰ぞ研究してくれ。
客観測定が難しいから研究にならないかなあ。
ということで、
薙刀式でだらだら書くのは心地よいよね。
深く考えなくても、
書けば書くほど次が湧いてくる感覚がある。
2023年09月04日
この記事へのトラックバック
そして、そのぶんとっ散らかりやすいので、インデント付き箇条書きの形式で書きながら考えるというスタイルを取っています。
プレゼンのスライド資料で使われる箇条書きではなく、あくまでたくさん書きながら考えるための箇条書きです。
この記事で言っていることに近いです。
https://scrapbox.io/shokai/%E7%AE%87%E6%9D%A1%E6%9B%B8%E3%81%8D
次から次に湧いてくるむき出しの考えに、ひとまずの構造を持たせることができるので、とっ散らかりを抑えてくれます。
同じインデントレベルには同じ粒度のことが書かれているので、だらだら書いた内容を見直すのもやりやすいです。
インデント方式はとくに論理的な文章や議論に向きますね。
ただ僕のようなエンターテイメント系文章は、
脱線こそが面白い部分でもあるため、
アウトラインプロセッサが足を引っ張ったりします。笑
まあ、目的によって道具を変えるべき、というのが一般則ですかね。