そんな金持ちの格言があるそうな。
小説書きの話でも似たようなものがある。
三冊書いて、やっと書き方がわかる、
みたいなやつだ。
構想→執筆→第一稿完成
→修正→…(ループ)→完成
という一連の工程を、
初手で完璧にこなせる人などいない、
ということがよくわかる。
やればやるほど、
完成から逆算して構想して、
なるべく修正のぐだぐだを避けるように、
すっと出来ないとなあ、
なんて思う。
「おもいついた!」って発想だけで走り出さず、
それはどういう帰着になるのか?
それで成立するのか?
なんてことを落ち着いて吟味するようになる。
(アイデアノートは、
そうやって実現までいかなかった、
アイデアの芽でいっぱいになろう)
書き出しからラストまで、
クリアなビジョンで見える人はいるまい。
みんなどこかは曖昧で、
それは書きながらアドリブで作り続けることになる。
その暴れをコントロールしない限り、
当初の計画を完遂できない。
仮に暴れの方が良く見えたとしても、
計画のために捨てることが完遂のコツで、
暴れのアイデアはまたメモに追いやった方がマシまである。
シナリオ業界では、
背の高さまで書いて一人前、
という話がある。
原稿用紙時代の話なので、
今は800枚レイアウトでやってるならば、
背の高さの半分、腰くらいまでは書くことだ。
家三軒、本三冊、腰や背の高さまで。
それくらい試行錯誤や失敗を重ねないと、
「すっ」と出来ない、
それくらいまではずっとごちゃごちゃする、
という経験則を知っておこう。
あなたはこのトンネルにいるか?
それを抜けたか?
まだ入り口にすら立っていないか?
「つくりかた」が分かるのは、
それくらいトンネルを抜けなきゃだめだ。
それまでは、
「思い通りに作る」ことすら出来ないってことだ。
ただ、ああでもないこうでもない、
と苦労したり喜んだりしながら書いた、
初期作品というのは格別なものだ。
青春とはそれに近いものだと思う。
人生の初期作品なんだろうね。
何本書いた?
今膝まで来た?太腿まで来た?
僕は脚本も小説も込みで、
そろそろ胸と肩の間くらいまで来た。
だから、「どう書けばどうなるか」
くらいの感覚は出来ている気がする。
全体が見えてるからこそ、
最初にこうしよう、このへんでこうしよう、
という車幅感覚がついてくる。
何年かかってもいい。
若い方が試行錯誤の体力がある。
コツコツやって、
400字詰め原稿用紙で背の高さまで書くことだな。
家三軒たててもいい。
それほど膨大な経験を積んで、
やっとスタートだ。
そうなったら、それぞれ一家言をもつだろう。
ありていにいえば、PDCAサイクルをまわせってこと。
回さないと回らないから、
どんどん回せるだけの量をやることだ。
2023年11月03日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック