2023年11月04日

誰かの人生を変えるものと、売れるものは両立するだろうか

なんて高校生や大学生の時に議論する内容を議論してみよう。


誰かの人生を変えるものほどの文学作品を「すごいもの」、
売れるものを「おもしろいもの」としよう。

すごいものを書くことは大変難しい。
おもしろいものを書くことも大変難しい。
そして、すごくておもしろいものは、
さらに難しいことが予測される。

実際にそういうものが過去にあったかを考えると、
たとえば「RRR」はそうだね。

ただおもしろいだけでもなく、
ただすごいものでもなかった。
文学とエンターテイメントは両立しうる。

だけど、
多分だけどいきなりあれは作れない。
なぜなら、
SSラージャマウリ監督がずっとやってきたことの頂点、
インド映画最高の制作費がかかるからだ。

若造がすぐにやって出来ることではない。
脚本は書けると思う。
だけど、それを実現させてやろう、
という周囲はまだいない。
プロデューサーたちからヒットメーカーだと認識されて、
その上でようやくやる機会が訪れる。

じゃあ媚びたヒットを何本も作り、
偉くなってからようやくすごいものを作ればいい?

媚びるだけでヒットメーカーになれるならそうしなさい。
ヒットなんてそう簡単なものではない。
誰もが「これは媚びてる」「これはパクリ」
だと分かってしまう。
そんなものは長くは続かない。
一回目はうっかりいけても、
「またかよ」と思われたらおしまいだ。

媚びつつもオリジナリティを入れて、
それが気に入られて…
というルートを行く人もいるだろう。
でもすでに「媚びる」という態度が卑屈なんよね。
卑屈な人のつくるものがおもしろいかな?


僕が高校生の時に思ったことは、
「メインプロットは売れ線で、
サブプロットで人生を描く」だな。

もちろん逆でもいいけど、
サブでしか売れ線がないなら、
「これをメインにすればいいのに」って思うだろう、
って感じたので。

まず売れ線でないといけない。
それはメインプロットでやればいい。
しかも媚びた売れ線ではなく、
新しい売れ線を開発するくらいの勢いだ。
過去でなく未来に生きないと、創作の意味などない。
「今受けてるのは何か」という問いではなく、
「次に受けるのは何か」で問うべきだ。

で、
それをやりながら、
一方できちんとすごいものをつくるべきだ。
主人公の脇筋でもいいし、
別キャラの人生でもいい。
メインの戦いの傍で少しだけスパイスのように効いている、
何かがずっと心に残ってる、
なんてことはよくあるよね。
そういうのを目指すべきだと。


つまりは、
両方狙って出来るようになれ、
という、
一番難しいことを僕は自分に要求した。

出来てるかどうかはわからん。
でもそれが、王道を目指す者のやることだ。
おもしろくてすごいものを、つくればいいだけだ。


新しいおもしろいものでみんなが喜ぶ。
すごいもので、それに引っかかった人だけが、
人生を変えるほどの影響を受ける。
そんな風になれるといいよね。

もちろん、全員の人生を変えるほどの衝撃があり、
なおかつ新感覚エンターテイメントになればいいよ。
でもどっちかはメインになると思うんだよね。

で、エンターテイメントがサブになることはないと思う。
マスのコミュニケーションだからね。
posted by おおおかとしひこ at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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