なんて高校生や大学生の時に議論する内容を議論してみよう。
誰かの人生を変えるものほどの文学作品を「すごいもの」、
売れるものを「おもしろいもの」としよう。
すごいものを書くことは大変難しい。
おもしろいものを書くことも大変難しい。
そして、すごくておもしろいものは、
さらに難しいことが予測される。
実際にそういうものが過去にあったかを考えると、
たとえば「RRR」はそうだね。
ただおもしろいだけでもなく、
ただすごいものでもなかった。
文学とエンターテイメントは両立しうる。
だけど、
多分だけどいきなりあれは作れない。
なぜなら、
SSラージャマウリ監督がずっとやってきたことの頂点、
インド映画最高の制作費がかかるからだ。
若造がすぐにやって出来ることではない。
脚本は書けると思う。
だけど、それを実現させてやろう、
という周囲はまだいない。
プロデューサーたちからヒットメーカーだと認識されて、
その上でようやくやる機会が訪れる。
じゃあ媚びたヒットを何本も作り、
偉くなってからようやくすごいものを作ればいい?
媚びるだけでヒットメーカーになれるならそうしなさい。
ヒットなんてそう簡単なものではない。
誰もが「これは媚びてる」「これはパクリ」
だと分かってしまう。
そんなものは長くは続かない。
一回目はうっかりいけても、
「またかよ」と思われたらおしまいだ。
媚びつつもオリジナリティを入れて、
それが気に入られて…
というルートを行く人もいるだろう。
でもすでに「媚びる」という態度が卑屈なんよね。
卑屈な人のつくるものがおもしろいかな?
僕が高校生の時に思ったことは、
「メインプロットは売れ線で、
サブプロットで人生を描く」だな。
もちろん逆でもいいけど、
サブでしか売れ線がないなら、
「これをメインにすればいいのに」って思うだろう、
って感じたので。
まず売れ線でないといけない。
それはメインプロットでやればいい。
しかも媚びた売れ線ではなく、
新しい売れ線を開発するくらいの勢いだ。
過去でなく未来に生きないと、創作の意味などない。
「今受けてるのは何か」という問いではなく、
「次に受けるのは何か」で問うべきだ。
で、
それをやりながら、
一方できちんとすごいものをつくるべきだ。
主人公の脇筋でもいいし、
別キャラの人生でもいい。
メインの戦いの傍で少しだけスパイスのように効いている、
何かがずっと心に残ってる、
なんてことはよくあるよね。
そういうのを目指すべきだと。
つまりは、
両方狙って出来るようになれ、
という、
一番難しいことを僕は自分に要求した。
出来てるかどうかはわからん。
でもそれが、王道を目指す者のやることだ。
おもしろくてすごいものを、つくればいいだけだ。
新しいおもしろいものでみんなが喜ぶ。
すごいもので、それに引っかかった人だけが、
人生を変えるほどの影響を受ける。
そんな風になれるといいよね。
もちろん、全員の人生を変えるほどの衝撃があり、
なおかつ新感覚エンターテイメントになればいいよ。
でもどっちかはメインになると思うんだよね。
で、エンターテイメントがサブになることはないと思う。
マスのコミュニケーションだからね。
2023年11月04日
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