馬鹿と付き合う必要はない、その場から離れろ
パワハラ上司と付き合う必要はない、その場から離れろ
女はめんどくせえ、その場から離れろ、
などと、人付き合いをシャットアウトして、
転職、移動するムーブがよく言われるようになった。
現実ではストレスを溜めすぎないために、
それが正解かもしれないが、
物語では「その場にとどまる」を選ぶ。
他人とは、価値観の異なる者をいう。
こちらの良いと思うものを良くないと思い、
こちらの良くないと思うものを良いという。
タイミングは合わず、
勝手にやってて聞かされていない。
あるいは、考えていることさえよくわからない。
それがコンフリクトである。
他人がいればその数だけコンフリクトがあるのだ。
「私とピッタリ合う!」
なんてのは幻想だ。
その幻想を売る、麻薬的物語はよく商売している。
だけどリアルを求めるならば、
「他人とはコンフリクトをする」
という本質からスタートするべきだ。
他人とは合わない。
だから、解決する。
その場から離れずに、とどまることで。
具体的には、こちらが折れたり、
向こうの真意を明らかにしたり、
こちらの真意を説明したり、
妥協点を探したり、どこまでは同意できるかを探る。
どちらも妥協するのか、
それとも別のものに目的を変更するか、
あるいはお互いがいることでよりよい共闘ができるかを探る。
そして、
それらが解決して、
一つの答えが見えるまでやる。
他人はめんどくさい。
しかし他人と付き合わなくてはならない。
会社の人間関係であろうが、
家の人間関係であろうが、
ラブストーリーであろうが、
人間と人間が同じ場にいると、
必ずこれが起こる。
それがコンフリクトである。
人間関係はストレスだ。
そのストレスに向き合い、疲弊するならば、
そこから逃げて転職せよ、
なんてのが現代的な選択であるが、
物語は、
「そこで逃げずにコンフリクトに向き合い、
新たな選択肢を見つけて平和にした人」
を描く。
そこに留まり、なおかつ解決したことを描くのだ。
留まるには理由がいる。
センタークエスチョンを解決するために、
その人間関係の解決が必要だから、
その迷路に入り、解くことになるわけだね。
ただ辛い人間関係解消が、
センタークエスチョンになったら、
辛くてやってらんかいかもね。
たとえば「自立を止める母親と和解して、
独立する」
なんてのは典型的なパターンだろうね。
引きこもりが人間関係が分かるはずがない。
普段から人間関係をさばいて、
仲良くなったり味方を増やしたりしていないと、
その応用である物語など、
書けはしないと思うんだよね。
陽キャしかできない?
そんなことはない。
陰キャにもそれなりのやり方があろう。
あるいは自分を書かないと決めてれば、
自分と逆のやり方をうまく描いたほうが、
冷静になれるというものだ。
一対一じゃ解決しないなら、
第三者を入れる。
それでもだめなら増やしていく。
個人対個人じゃなくて、集団の問題として共有する。
そんな風にして、
人類は軋轢を解消してきた。
ひとつのコンフリクトはまた別のコンフリクトを暴く。
問題は問題を呼んでくる。
一つの解決が他の問題を引き起こす。
そんなこともよくあることだ。
物語は、
これらをうまく描かなければならない。
面白くないといけないし、
リアリティがなくてはならない。
めんどくさいね。
でもそれを避けて描いたものが、
ご都合主義、メアリースー、オレツエーでしかない。
つまり、作者一人称の一方的なものいいだ。
物語は三人称である。
たくさんの人の言い分を、
外から見て捌く。
多数の球のぶつかり合いのビリヤードのようなものである。
それが、ガーンとぶつかって、
収まるべきところに収まるまでが、
物語だ。
惰性で動く人、逃げる人、なかったことにする人もいるだろう。
だけど、
それらを乗り越えて、
ぶつかる前よりも、より良くしてしまう人がいる。
ぶつかってよかったね、問題があったってわかったものね、
と、それらを上手により良くする人がいる。
それが主人公である。
作者が主人公に投影してはいけない理由がこれだ。
そんなうまいこと人間関係を捌ける人は、
そんなことやってないでマネージャーとかやった方がいいものね。
でもその敏腕マネージャーの活躍を、
三人称として描くことは出来るよね。
それが物語なんだよ。
そのために、
ヒリヒリする対決を何度かする必要があろう。
向こうが折れるどころか、逆襲されることもあろう。
人は理屈だけでなく感情でも動く。
自暴自棄になったり、復讐の鬼になることもある。
最終的に殺し合うしかない、
となるのが普通のストーリーで、
最終的に愛し合うしかない、
となるのがラブストーリーである。
どちらでもよい。
ラブは男女だけとは限らない。
同性愛にせずに、仲間意識や友情としての愛し合うでもよい。
(異性を廃した百合やBLは、
ラブを介さないラブストーリーが欲しい人向けのものである。
結局性欲解消が欲しいからセックスがあるパターンもあるが)
これはあくまで、
人間関係としての物語の構造だ。
これらはサブプロットとして描かれることが多い。
Aストーリーはあくまで、事件と解決である。
それらに乗り出すうちに、
人間関係の問題が炙り出されて、
コンフリクトが起こる(もともとあったものが明確化される)
わけだ。
職場の人間関係がストレスで転職してしまうような人には、
物語は書けまい。
ただストレスで壊れるくらいなら、
もっとマシな職場に行くことを薦めるがね。
どこへ行っても人間関係のわずらわしさは付きまとうよ。
他人がいる限りね。
他人とは、自分とは別の価値観を持つ人のことだ。
一見同質な村の中でも違いやいじめはあるし、
同じ趣味の集いでも違いやいじめはあるよな。
他人は他人なのだ。
そこで人間関係を築けず、リセットし続ける人は、
人生もうまくいかないし、
物語もうまく書けないだろう。
どこかで勝負することだ。
今が勝負どきかどうかを見極めるのは、
センタークエスチョンがあるかどうかだろう。
物語は、危険があるほうがおもしろい。
その人間関係がこじれたら危険があればいいわけだ。
Aストーリーだけでは大して面白くならない。
それによって、こうした人間関係のBストーリー、
Cストーリーがあり、
そこに感情移入がやってくる。
2023年11月05日
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