人は自分の都合だけで動くわけではない。
所属する集団の都合が、
個人の都合より優先されることはままある。
それは古今東西の物語のネタになってきた。
僕がそれを最初に意識したのは「ベンハー」だったなあ。
最近の例。
> 某事務所の件、今まで腫れ物触る様に何もできてなかった日本のメディアが BBC の取材を皮切りに事実が明るみになると今度は一斉に某事務所を叩きまくっていて、日本のメディアの不甲斐なさを感じてしまうなぁ。
日本ってそういうとこあるよな。
東京五輪開催前のめちゃくちゃを思い出そう。
逮捕者が出てようやく電通を叩けるようになったよな。
それまでは電通の名前はマスコミで封印されてたんだぞ。
幕末の開国だって黒船だし、
戦後改革はGHQだ。
太平洋戦争をマンセーしてた新聞たちは、
敗戦して急に反省したらしいが、
その反省は今回に生かされてるのだろうか?
内部組織では力関係が均衡してて、
まったく動けないのだが、
外圧が来たことによって総崩れになる、
というのはひとつの歴史観としてありそうだ。
三国志はその均衡を狙った天下三分の計があり、
その後どうなったんだっけ。
モンゴルという外敵に蹂躙されたんだっけ。
五胡十六国に分裂したんだっけ。
日本の芸能界はジャニーズというスケープゴートを吊し上げて、
ほかの事務所の悪行は知ってても触れないのだろう。
内部告発は死だからなあ、ふつう。
最近でも誰か不審死したよね。
それすらも「他のやつ口を割るなよ」
という無言のメッセージだったりする。
使者は殺されるのが戦国からの習いだ。
それでも使者を務める人が何人も出た時に、
内部からの改革が始まるのだろう…
集団の都合が、
個人の都合より優先することは多々ある。
それが人類という集団である。
その集団の闇を描かずに、
何が物語作家だろうか。
今回の件は、リアルタイムで記憶に留めやすい。
2023年09月08日
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