この二つはトレードオフな気がしてきた。
規則配置は、覚えることが少なくていい。
しかし使用頻度や連続して使う時の指の動線は、
規則的配置であれば無理が出てくる。
それに応じてバラバラに合理的に置いたものは、
合理的で無意識的に使えるが、
忘れた時に思い出すことができなくなる。
(あるいはマスターするまで無意識化する手間がかかる)
忘れた時の思い出しを優先して、規則配置にする。
使う時の指の合理を優先して、不規則合理配置にする。
これらは完全トレードオフかもしれない。
たとえばカーソル。
規則的配置ならば十字や逆T字がよかろう。
しかし頻度だけで言うと、
実は「←」(横書き)が一番僕多いんだよね。
↓↑はわりと少ない。
ということは、←→と↓↑には非対称性があり、
規則的配置にするのは合理性がない。
もっと頻度や動線に応じてバラして良い。
しかしいざをそれを使おうとして忘れてたら、
思い出したり探っていくことが困難になる。
カナだと「まあそんなもんか」と思えるけどさ、
カーソルみたいな図形的規則配置を強く要求するものは、
バラバラ合理配置が大変難しい。
Vim&自キでよくある、HJKLの一列カーソルすら、
抵抗があるものね。
この辺が、編集モードをどう合理的に考えるか?
を難しくしてるのだと思われる。
でも結局、
「自分が使えるかどうか」
「自分が使ってて気持ちいいかどうか」
の線引きを自分でするしかないのよね…
カナであれば、
僕は拗音の不規則配置(たとえば新下駄)は、
僕は使えなかった。
とはいえ二打打つのはめんどうで、
みゃみゅみょとかのマイナー拗音なんて一々覚える気がしなかった。
なので拗音同時押しという、
覚える必要がない拗音は革命的だったと考える。
そんな風なのが編集モードにはないのよね。
関係性のあるものは大体裏表に配置している。
縦/横、移動/選択、カッコ/選択範囲にカッコ、
などだ。
これが恣意的であって、統一した基準が見出せていないのが、
編集モードが完全でない証拠だろう。
(逆に言えば個人的改良の余地があるともいえるが)
まあもともと機能というものに規則性がない以上、
ランダムな集まりに規則配置を求める方が間違い説もある。
でもなんか規則性があると思い出しやすくて…
と、
考えのループに入ってる感じだな。
そもそも規則性がないから、
109キーボードは複雑な九竜城みたいになってしまったのだ。
それを再整理せんと試みる編集モードが、
完全に綺麗にはいかないのは当然ともいえる。
カナに関しては明治期、戦後の50音の整理があったから出来たが、
機能系に関しては、
誰の整理も経ていないのだろう。
せいぜいMacは整理されてるな、だと思うが、
emacsベースのショートカットは、
万全ではない気がするんよね。
もっと使いやすく、
思い出しやすくなるのかなあ、編集モード。
こればかりは試行錯誤しかないかな…
自分で横書き編集モードつくったら、
また何か思いつくだろうか…
まさかカナ並べて終わりではないとはね…
2023年09月10日
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