なんで視覚的に整理されてるマップだからといって、
実際には使いにくいのかを考えると、
そもそも指は規則的になってないから、といえる。
正確には、
視覚的規則配置と、
触覚的な感覚が全く違うことから、
この混乱は起こっている気がする。
人差し指、中指、薬指、小指は等価ではない。
この順に強いし、器用だ。
器用さで言うと小指>薬指だが、
強度は薬指>小指。
また、強度的には、
中指>人差し指の関係もあろう。
(個人差もある)
これは単発の性能だけど、
連接の性能が全然違う。
人差し指-中指の連携に比べて、
中指-薬指の連携は遅く弱く、
薬指-小指の連携も遅く弱い。
人差し指-薬指、小指はまあまあ弱く、
中指-小指の連携の遅さは尋常ではない。
(これも個人差があろう)
3連接以降のデータはとってないが、
人差し指の絡まない3連接はかなりダメそう。
また、人差し指と小指は短くて上段が苦手で、
中指と薬指は長くて下段が苦手。
こんなひとつとして同じでない指が、
視覚的規則配置を規則的に使えるはずがない。
JKL;にカーソルを並べても使えない道理だ。
視覚的には規則配置は等価配置なのだが、
それを規則的でない指で使うには、
そもそも無理があると言うわけだ。
(だからピアニストは指を等価に鍛える。
しかしほとんどの人にとっては、
指は等価になっていないし、
中年になってから等価に鍛え直すのは、
神経の発達的に限界があり、
結果等価にはならない)
もし視覚的な規則配置を指が等価に使えるなら、
50音順配列でエンドゲームだものね。
フリックは数本指で使うから、
視覚的規則配置と指の等価性が一致した、
優れた設計だ。
だけどキーボードは10本指を使う。
たしかに記憶負荷のことを考えると、
視覚的規則配置はいい気がするんだけど、
実際の運用では、
50音順配列を使うような、
使いづらさを抱えることになるんだよな。
原理的な問題ということだ。
となると、
指の感覚によって機能を並び替える、
指感覚的規則配置とでも言えるものに、
並び替えるべきなのだろう。
どういう規則かは明文化が難しいだろうが。
薙刀式で言えば、
JI、MK、OIのアルペジオに、
最優先で編集モードの何かを割り振ればいいということか。
うーん、たしかに、
そこに上下移動と一文字前選択と、再変換とDelが、
編集モードでは入ってて、
たしかにそれを一番よく使ってるな…
厄介なのは、
マイナーカナよりも編集モードの機能は滅多に使わないやつもあること。
たとえば「ひらがな変換」はほとんど使わない。
「カタカナ変換」は結構使うのにね。
「ひらがな変換」、たとえばヴやぬより使うのかなあ。
なんとも言えない出現頻度だ。
脚本マクロや小説マクロは、
普段の文章ではまったく0使用だが、
実際の執筆では最も使うショートカットかも。
アンドゥより使ってる。
外来語において「ー」を一番使うみたいな、
文脈依存なものの気がする。
なので最近は、
人差し指-中指でトリルしやすいような位置で、
実験している。
視覚的な規則配置は、
ぱっと見整理されてる気がしてしまうのだが、
指にとっては整理ではない。
このギャップが、
配列を難しく、面白くしてるんだろうな。
視覚的情報を遮断した時のパフォーマンスを考えたい、
という意味で、
僕は一貫してブラインドタッチという言葉を使っている。
タッチタイピングだと手探りっぽい感じなんだよね。
ブラインドコーナーを感覚だけで曲がるような、
猛烈なスピード感がタッチタイピングにはない気がするので、
もっといい言葉が見つかるまでブラインドタッチを使いたい。
キーマップの難しさは、
視覚を排する勇気にあるのかもしれない。
2023年09月11日
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