2023年11月12日

タイトルは名詞であるべきか

多くのタイトルは名詞な気がする。
(固有名詞を含む)

それでいいのかなあ、と少し疑問に思う。


ある物語を「それ」と捉えるには、
名詞は有効だ。
「トップガン」「風の谷のナウシカ」
「愛と青春の旅立ち」
などなど、
古典的な名作は名詞が多い。

だけど本屋を巡ってあらゆる小説の棚を見たり、
ツタヤで映画のタイトルを眺めてると、
石みたいに色んな名詞があり過ぎて、
ぜんぶゴミに見えて来る。

その中で光る名詞はたぶん、
「自分の知ってる名詞」だけではないかと思う。

つまり、
「知らなくて、新しい概念を提示した名詞」は、
ぱっと見入ってこないと感じた。

それを手に取るときは、
「すでにその名詞に関心があるとき」
に限られるのではと思う。

だから、
人々の関心のあることを題材にすることは、
一定の効果はあろう。


映画だと、週に公開される本数は限られるから、
「その中での名詞」で、
分別ができそうだ。

しかし一旦ツタヤや配信に収録されてしまうと、
ゴミのような石の名詞の中に埋もれてしまう気がする。

とくに小説の棚でそれを強く感じる。
これだけの名詞に囲まれて、
自分の興味なんて分かるわけがない。
全部ノイズに見える。
自分の関係ないもののように。
結果、「知ってる名詞」を手に取るとおもうんだよね。

もちろん、そこで冒険して違うものを取る人もいるが、
多くは安牌だろうなと思うわけ。

若者なんてさらに顕著で、
タイパ(時間あたりのリターン)を重視する。
それは、
モノや情報に溢れ過ぎて、
「自分にいるものしかいらない/
自分に関係ないものに関わっている時間はない、
できればさっさと捨てたい」
ことの表れだ。

つまり、棚が増え過ぎてゴミだらけになり、
自分の関係したものしか選べなくなっている、
というジレンマがあるような気がする。


こうした時代に、
名詞で終わるタイトルが有効か?
という問題があるように思える。

膨大なリストをスクロールして行って目が止まるのは、
たぶんワンビジュアルだろうけど、
タイトルが示す「概念」でもあると思う。

それが、ゴロゴロある名詞でいいのか?
知らない概念の名詞(無視される)でいいのか?
という話だ。


「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」や、
「スマホを落としただけなのに」
などの、
文章系、セリフ系タイトルは、
名詞形タイトルがゴミのようにある中で、
少しでも目立とうとした工夫の結果であろう。

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
なんてのもあったし、
「博士の愛情: または如何にして私は心配するのを止めて
水爆を愛するようになったか」
なんてのもある。
目立とうとしてるわけだね。

逆に「es」「THX-1138」などの、
短くて記号系にして目立とうとする流れもあるが、
「よくわからない」で終わりだと思う。
よほどそれが事前に知られていない限り、
分からないものは悪手だろう。


ラノベ系ではとくに近年タイトルが文章系で長くなる。
それは、
「タイトルとあらすじの二つを見る手間を省いて、
タイトルだけ見れば大体あらすじがわかるようになっている」
というタイパ重視の結果なんだよね。
ラノベはとくにジャンルや性癖の、
特定のメニューを探している人が多いため、
メニューをタイトルにしてしまうわけだ。

ディアボロ風とか山賊風じゃわからん、
「鶏肉をカリッと焼き上げたもの」、
「骨付きの鶏もも肉を一本丸ごとオーブンやグリル、
炭火等でニンニク風味の照り焼き風のたれに絡めて
あぶり焼きにしたローストチキン」
といえや、ということさ。



さて、
このような時に、
名詞形のタイトルは有効かな?

僕はゴミに埋もれてしまう気がする。


じゃあ何が必要か?
僕は謎かけだと思うな。

もちろん、「竿竹屋は何故潰れないか?」
的な疑問解消ものでもいいんだけど、
物語的解答ではないし、
もっと含みを持たせるべきだろう。

「そして誰もいなくなった」は結構いいと思う。
「どういう事情でどうなったんだ?」
と、中身への興味を誘導するからだ。

内容のベールが少し剥がれた状態で、
人々が「?」と思い、
その詳細、その先を知りたくなるものが、
もっともいいタイトルだと思う。

その時によくあるパターンだと、
「それは飽きた」「大体予測できてつまらなさそう」
だし、
あまりにも斬新すぎると、
「こわい」(分からなさ過ぎて、
それにわざわざ自分の時間を使うかどうか判断しかねる)
になるのではと考える。


いいタイトルは疑問をもたせて、
その先へ興味をもたせるもの。

ダメなタイトルはただの名詞で、
ゴミのような名詞たちに埋もれがちなもの。


「告白」とかまじゴミ。作者知らなかったら終了。
有名人になってから書くべきタイトルだね。
(松本人志の「遺書」とかね。
あれは松本人志だから意味があったわけで、
そういう意味でタレント本だ。
逆にいうと、今のプロデューサーの「売りがある/ない」なんて、
タレント本か否かしか判断してないともいえる)


そんな風に考えると、
百のタイトルを考え、
選別する基準になるのではと思われる。



自分の今書いてるやつのタイトルで、
実は悩んでて、
こんな分析をはじめている。
とりあえず百くらい書いてみたのだが、
これをこの棚に置いてみたら、という想像をすると、
まだ数多の人が「ん?なんだこれ?ちょっとみてみるかー」
になってないので、悩み中。
posted by おおおかとしひこ at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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