ハッピーエンドの物語に限るけどね。
フィクションの物語において、
絶望とハッピーエンドはセットである。
たいした失敗や絶望をしてない場合、
それを乗り越えて幸せになっても、
なんだか大した幸せじゃないように見える。
絶望の淵にはいり、
そこからなんとしてでも這い上がり、
ようやく希望を掴んだ方が、
物語としては面白い。
つまり絶望の深さは、
駆け上がる高さを測る定規である。
沈んで、上がった、その落差が、
物語の面白さと言ってもよい。
しかし当然、
その駆け上がりには無理や矛盾があってはならない。
おもしろく、矛盾なく、
ご都合でなく、リアリティがあり、
しかもフィクションとして夢のある、
駆け上がり方が必要だ。
もちろんそれは難しい。
だから絶望を深くしすぎると、
それが回復出来なくて物語が死ぬことも多い。
「ベルセルク」の物語的絶望の深さは、
おそらく物語史上最高のものである。
他の絶望の深さは「デビルマン」のオリジナル原作版があるが、
これはバッドエンドだから除くとしよう。
ベルセルクはハッピーエンドを期待されて、
絶望の淵があまりにも深かった。
だからバッドエンドにしかならないのでは、
ほんとうにハッピーエンドになるのか、
とずっと心配してたのだ。
あるいは、
そこまで絶望させておいて、
幸福になる手段などあるのだろうか?
人生を信じてよいのか?
くらいの問いが突きつけられていたと思う。
残念ながら作者の絶筆によって、
それは永遠の謎となってしまったが。
絶望の深さは、
だから観客にとっては、
最高のスパイスなのだ。
ここまで絶望してから逆転するの?
おもしろそう!というね。
つまり、フリになってるわけ。
押すなよ!押すなよ!と同じで、
これは必ず押されるし、
この絶望は最高のハッピーエンドが期待されるんだよね。
だから難しい。
絶望を浅くして、結末をぬるいハッピーエンドにするか、
絶望を深くして、それを拭いきれないハッピーになるか、
それとも絶望の深さに見合う、
それを覆す最高のハッピーエンドになるか。
この三択で、最後を作り出すのはとても難しい。
だから、やる価値があるし、
最高の絶望と最高のハッピーエンドを作り出した物語には、
拍手を惜しむべきではない。
最近だと、
「アベンジャーズ: エンドゲーム」
「トップガン: マーヴェリック」
「RRR」
がそれに値した。
そこまでできる映画は最近減ってる気がするけどね。
ダークファンタジーの流行は、
現実に絶望が多く、
リアルな空気感の反映だろうと思う。
そして現実を舞台にするとその絶望への回答がなさすぎるから、
解決可能なファンタジー世界での解決をやっているのだろう。
そう。
ハッピーエンドに至るには、
絶望が足りないのかもしれないよ。
もっと絶望しよう。
そしてその絶望から復活しきれないなら、
その物語はそれまでなんだろうな。
人生を生きる力を書くのが物語だ。
人生の絶望から大逆転して希望に満ちるのが物語だ。
だから難しくて、価値があるんだ。
この逆風の時代に、絶望してる場合じゃない。
絶望してる人が多い時ほど、
強度の強い希望の物語が力を与える。
つまりヒットすると思う。
2023年11月14日
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