2023年11月14日

絶望の大きさは希望の大きさ

ハッピーエンドの物語に限るけどね。


フィクションの物語において、
絶望とハッピーエンドはセットである。

たいした失敗や絶望をしてない場合、
それを乗り越えて幸せになっても、
なんだか大した幸せじゃないように見える。

絶望の淵にはいり、
そこからなんとしてでも這い上がり、
ようやく希望を掴んだ方が、
物語としては面白い。

つまり絶望の深さは、
駆け上がる高さを測る定規である。

沈んで、上がった、その落差が、
物語の面白さと言ってもよい。

しかし当然、
その駆け上がりには無理や矛盾があってはならない。
おもしろく、矛盾なく、
ご都合でなく、リアリティがあり、
しかもフィクションとして夢のある、
駆け上がり方が必要だ。


もちろんそれは難しい。

だから絶望を深くしすぎると、
それが回復出来なくて物語が死ぬことも多い。

「ベルセルク」の物語的絶望の深さは、
おそらく物語史上最高のものである。

他の絶望の深さは「デビルマン」のオリジナル原作版があるが、
これはバッドエンドだから除くとしよう。
ベルセルクはハッピーエンドを期待されて、
絶望の淵があまりにも深かった。

だからバッドエンドにしかならないのでは、
ほんとうにハッピーエンドになるのか、
とずっと心配してたのだ。
あるいは、
そこまで絶望させておいて、
幸福になる手段などあるのだろうか?
人生を信じてよいのか?
くらいの問いが突きつけられていたと思う。
残念ながら作者の絶筆によって、
それは永遠の謎となってしまったが。


絶望の深さは、
だから観客にとっては、
最高のスパイスなのだ。
ここまで絶望してから逆転するの?
おもしろそう!というね。

つまり、フリになってるわけ。
押すなよ!押すなよ!と同じで、
これは必ず押されるし、
この絶望は最高のハッピーエンドが期待されるんだよね。

だから難しい。

絶望を浅くして、結末をぬるいハッピーエンドにするか、
絶望を深くして、それを拭いきれないハッピーになるか、
それとも絶望の深さに見合う、
それを覆す最高のハッピーエンドになるか。

この三択で、最後を作り出すのはとても難しい。

だから、やる価値があるし、
最高の絶望と最高のハッピーエンドを作り出した物語には、
拍手を惜しむべきではない。

最近だと、
「アベンジャーズ: エンドゲーム」
「トップガン: マーヴェリック」
「RRR」
がそれに値した。

そこまでできる映画は最近減ってる気がするけどね。



ダークファンタジーの流行は、
現実に絶望が多く、
リアルな空気感の反映だろうと思う。
そして現実を舞台にするとその絶望への回答がなさすぎるから、
解決可能なファンタジー世界での解決をやっているのだろう。

そう。
ハッピーエンドに至るには、
絶望が足りないのかもしれないよ。
もっと絶望しよう。

そしてその絶望から復活しきれないなら、
その物語はそれまでなんだろうな。

人生を生きる力を書くのが物語だ。
人生の絶望から大逆転して希望に満ちるのが物語だ。
だから難しくて、価値があるんだ。

この逆風の時代に、絶望してる場合じゃない。
絶望してる人が多い時ほど、
強度の強い希望の物語が力を与える。
つまりヒットすると思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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