椿屋コーヒーの待合室に絵本が置いてあって、
たまたま手に取った「きょだいなきょだいな」
が凄まじく良かったので議論したい。
「きょだいなきょだいな 朗読」
などで動画検索したら出てくる
(厳密には著作権違反だろうから、
直接リンクしない)ので、
内容を知りたい方は各自で。
僕が衝撃を受けたのは、
「意味のなさ」なんだよね。
ナンセンスの面白さは、
吉田戦車のように、
「これまで意味があったものを、
解体する面白さ」だと考えていたのだが、
これはそうではなく、
「意味のない刺激のみのおもしろさ」
で突き抜けてるのがすごいんだよね。
ああ、絵本すげえなって思ったんだよ。
ストーリー作りに慣れてると、
この巨大なものたちがある意味、
なぜここに置かれてるかや、
100人の子供たちのオチを、
ついつい考えてしまう。
しかしこの本はそんなことをガン無視。
デッカいピアノを弾いたらうきゃーってなるよね、
デッカい石鹸で滑ったら超楽しい、
デッカい電話が地獄に繋がって超怖い、
デッカいトイレットペーパーが転がって地平線まで、
なんて、
「刺激」だけの面白さを響かせている。
つまり、
これまでストーリー論で議論してきたことでいう、
「ガワ」だけに振り切ってるんだよ。
でも「おもしろい」わけ。
キャッキャ喜べるんだよな。
僕は絵本というのは、
なんだかんだいって、
絵のおもしろさとストーリーのおもしろさが融合するべきだと考えていたのだが、
絵のおもしろさだけに振り切ってる絵本もあるのだなと、
あらためて絵本の深さに衝撃をうけたな。
絵本にむしろストーリーなんていらねえよ、
そんな難しいやつ、って言われてる気にすらなった。
もっとも、僕が呼んだ絵本は、
いわゆる桃太郎やアリババやシンデレラなどの、
説話ものだった記憶があり、
それ以前の原始的快感としての絵本を、
知らないだけかもしれない。
さて、
映画だ。
映画は総合芸術であるが、
すべての芸術のうち、一部しか表現できない。
この絵本の「おもしろさ」は、
映画にならないんよね。
まあ5分の映像にはなるよ。
事実朗読動画は成立してる。
しかし二時間の商業映画は、
これを超えられるだろうか?
とちょっと怖くなるよね。
ストーリーのおもしろさ、ガワのおもしろさの融合としての、
二時間映画は、
この5分のガワのおもしろさに勝てるかな?ってね。
逆に言えば、この「おもしろさ」でない「おもしろさ」を、
脚本では提供しなければいけないのさ。
その意味で、
このガワのおもしろさで突き抜けるこの絵本に、
衝撃を受けてしまったわけさ。
「おもしろい」にはいろいろある。
人は「おもしろい」だけで、
色んなものを混同している。
シンゴジラが街を壊すのは「おもしろい」が、
映画ストーリーのおもしろさではない。
(そもそも壊す面白さではアキラで見たわけだし)
女の好きは100色あるらしいので、
「おもしろい」にも100色あるわけだ。
どういうおもしろさなのかについて、
ボキャブラリーを増やすべきだろうね。
2023年09月13日
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設定と少しの展開情報だけで、あとは想像で補完してねが面白いのかも
大人はどうしても論理的に見ちゃいますが...
絵本は想像力、論理的思考を育てるための親子のコミニケーションツールのような気もして、絵本作家は意図的に論理的にしてないのかもしれないです。
まあざっくりいえば、
5分までは論理がなくても持つし、
論理がない方がおもしろいまである、
5分で展開できる論理は小賢しくて弱い、
ということですね。
どのあたりで拮抗するかは分かりませんが。