2023年11月15日

AとBの二本立て

僕はいつも「強い一つを」と考えている。
その作品名で指し示される内容、
今回の趣向は、
Aである、
などのように言えるべきだと。

しかしたまに、
AとBという本来異なるものが、
今回は混ざり合って対立する二本立てなのである、
なんていうコンセプトを組んでしまうことがある。
これは間違いだと考える。


どちらかがどちらかのサブになるならいいと思うよ。
メインがAで楽しめて、
ワサビのようにBが入ってるよ、
的なのはとてもよい。

フルコース食った後にデザートがあるとしよう。
どっちがメイン?
デザートではなくて食事のほうだよね。
仮にステーキとしよう。
ステーキと酒とどっちがメイン?
ステーキだよね。
ごはんとステーキだと?
日本人的にはごはんと答えたいが、
フルコースにおいてメインはステーキという扱いだね。

メインをステーキにしろ、
ということは、
デザートは出さなくていいとか、
ごはんはいらないとかのことではない。
肉を大盛りにして、
一番満足するようにしろ、
デザートやご飯はサブ扱いにせよ、
ということを言っている。

で、
そのときに、
メインはAという一つではなく、
AとBが同時存在すること、とか、
AとBが両立して絡むこと、とか、
AとBの同時進行が、とかで、
「新しさ」を言う人がいる。

僕はこれは間違いだと思う。

なぜなら、
Aメインにしても、
Bメインにしても、
どっちにしても弱い微妙な状態の時に、
AとBの二本立てをいってしまいがちだからだ。

Aだせ残せばいいじゃん、いやBがないと持たない…
Bをメインにすれば?しかしAあってのB…
と、どちらもメインとしては弱いから、
デュオ、ニコイチにしてしまう心理がある。

ピンクレディ、wink(例が古い)は、
一人でメインを張れない人によるニコイチである。
一人がメイン、もう片方がサブになってしまうと困る
(サブが意味がなくなる)から、
なるべく拮抗する二人を選ぶことが、
デュオを作るコツだろう。
陰陽でなるべく真逆な要素を持ち合わせてるのがいいよね。

ただ映画ストーリーでこれはない。

なぜなら、
変化こそがストーリーであり、
デュオは変化しないことが目的だからね。

むしろストーリーとは、
メインディッシュAの、変化前と変化後の、
デュオといってもいいのでは。
そんなときに、
サブBならいいんだけど、
並び立つBだと、
「コンセプトがややこしく混乱する」
になると僕は考えている。


で、
ステーキに至らないほどのクズ肉をもってきて、
よし、豚とあわせてハンバーグにしよう、
なんで、ニコイチにしてしまいがち。

しかしハンバーグという新しい料理は、
「デミグラスソース」こそがメインAであり、
「牛と豚の二本立ての拮抗」がメインではない。
つまりハンバーグがハンバーグたるアイデンティティを持つのは、
デミグラスソースにおいてだ。

にも関わらず、
「AとBの二つの要素がこのストーリーのメイン…」
なんて説明しがちな中級者は多い。



どっちかに決めなさい。

そしてそれを弱いと思うなら、
太く、強く、面白く、えげつなく、
感情豊かにすることだ。

Bを削ぎ落とすだけだと、
単に痩せてダメになったように見える。
Aをより強くして、
より前に出ると考える方が建設的だろう。
それで誰にも文句のないAになれば、
自然とBは引っ込めてもいいか、
と思えるようになる。


ヘレニズム文化と現代音楽の融合とかさ、
ラブストーリーアンドアクションとかさ、
豚骨チャーシューラーメンとかさ、
一番を取れないと思うんだよ。

ヘレニズムの影響深い現代のいい音楽とか、
アクション多めだけどせつないラブストーリーとか、
チャーシューもうまい豚骨ラーメンのほうが、
スッキリして記憶に残りやすいし、
人の頭の中に展開させやすい。

そのことに気づくべきだろう。

AとBの二本立ては、
強いAをつくれません、という泣き言に見えるんだよな。
posted by おおおかとしひこ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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