2023年11月18日

「商業は好きに書けない」か

商業は好きに書けないからダメだ、
好きに書けるアートがいい、なんてことをいうけれど。
お前の好きは一通りしかないのかい?


好きなんて100あっても1億あってもいいと思うんだよ。
その中の1好きを表現したのが作品だ。

だから1の好きを拒否されても、
別の好きを持っていけばいいだけじゃん。

ここからここまではNG、
ここからここまではOK、
が明確にわかるかぎり、
幾万の好きは、そこに落とし込むことが可能だぞ。

プロの現場では、
向こうがプロでないことがたまにあり、
NGの範囲もOKの範囲も示すことができず、
好きを疲弊させることがまれによくある。

それはリードが下手な担当に当たっただけの話で、
うまく、
「ここからここまでは自由なので、
好きに遊んでください」
が出来れば、
「だったらまだ好きはたくさんあるぞ」
と思えるのだ。

逆に才能を潰すのは簡単で、
OKもNGもわからないまま、
ただ沢山出せというやつだな。


商業は、一つの好きを潰す。
そう思ってるならまだ商業の理解が足りない。
だって、好きが商売になるからだ。

モーレツに好きなものに、人は金を出す。
そしてその人の好きもたった一つじゃない。
好きはたくさんあり、
たくさんの好きに囲まれたくて金を出す。
そのうちの一つを出せば良い。
posted by おおおかとしひこ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック