2023年09月20日

からくりを発見させる面白さ

というのが世の中にあると思う。


あれは実はこうだったのでは…?!
こことここがリンクしている…!

というのは一つの脳の興奮であり、
関係性萌えとも通じる、
何かと何かがつながった面白さ、
というのは確実にあると思う。

どんでん返しはその極端なもので、
これまでの関係がぜんぶひっくり返るから、
興奮するんだよね。


ただ、それは物語の根本的な面白さか?
というのはある。

その発見や理解そのものは興奮して、
「おもしろい」という感覚を得るが、
それは一回しかないのよね。

面白い物語というのは、
オチが分かってても面白いわけで、
発見の面白さって、
発見し終わったら終わりなんだよな。


発見を面白く思う構造は、
人類が科学を発展させてきた原動力だろう。

世界を観察して、
AとBが関連するのでは?
その法則はこうでは?
やっぱりそうだったじゃん!
と思うことは、
科学の発展史そのものだ。

だからその興奮刺激は、欲しがられるものの一つであり、
娯楽がそれを提供するのも娯楽の役目であろう。
なんならクイズ番組でもそれは提供できる。

だから、
物語そのもののもつ本来の刺激物かは、
なんともいえない。

おそらく物語の中のそれは、
人間関係や気持ちの発見、
世界の構造や組織に関する発見だろうね。
世界の構造が宇宙規模になるとSFになるのだろう。
それまでは「世界」とは、せいぜい地平線までだろう。
大体4km範囲だってさ。
時速4kmで二時間で踏破できるんだね、この世界。


もちろん、そうした発見の面白さが全くないよりは、
あった方が面白いという刺激はあると思う。
でもそれがメインになると、
どんでん返しコンテストみたいになってしまうだろうね。

90年代のハリウッドスリラーでは、
「自分は死んでた」とか「自分は狂ってた」
などの叙述トリックが流行り、
気づかなかったー!という楽しみを提供したけれど、
で、なんなん?ってなって終わりなのよね。
人の悪意を描いてバッドエンドとか、
逆に善意だったのだ的な、
添え物的な物語であったような記憶がある。

「驚いたやろ!すごいやろ!」
に関してはたしかにそうなのだが、
で?というのが、今や現代だなと感じる。

幽霊の正体見たり枯れ尾花
でわかる通り、
枯れ尾花になってしまうと、
もうそこには戻ってこないんよな。
一過性の発見娯楽になってしまう。

クイズ番組くらいのコスト感なら別問題をつくれるが、
物語を作るコストにしては、
割の合わないリターンのような気がする。

もちろん、刺激物としては歓迎だろう。
驚きもひとつの娯楽だ。
だけどそれは、娯楽の一つであり、唯一の娯楽ではない。


物語にしかない、
物語の価値とはなんだろう?

僕は、
架空の問題と解決を描くことで、
主人公が生まれ変わり、成長をすることで、
その成長に価値が生まれること、
だと考えている。

その擬似生まれ変わり体験によって、
観客そのものも生まれ変わる=価値の変容をすることが、
物語にしかできないことだと。

同じことは死にそうになった体験とか、
苦労した体験で得られるかも知れないが、
コスパが違うよねと。リスクも負わなくていいし。

つまり、
物語の価値や意義とは、
リスクのない擬似生まれ変わり体験ではないか、
と僕は考えている。

だから、
感情移入と、焦点への興味と、
カタルシスが重要だろうと考えている。


からくりの発見は、
これと共存可能だけど、
からくりの発見そのものは刺激物のひとつに過ぎない、
つまりガワに属するものだと考える。
いうたらエログロと同じ列にならぶものだと。
エログロを下に見ているわけではない。
低俗こそ娯楽であり、低俗を選ぶ権利が我々にはある。
物語が高尚であるというつもりもない。

だけど、
物語にしかできない価値をないがしろにしてまで、
刺激物をならべることは、
物語を分かってないのでは、とすら思ってしまう。


ノウイットオールのことをずっと考えているのだが、
全体としては物語になっていないが、
2章だけは完璧に物語だったんだよね。
終わり方は疑問符ではあったけどさ。
(一応来年のチャンスを得られたことになってるので、
まあ大団円ではあるが)

なぜ歪だと思うのか、じゃあ完璧な形とはなにか、
などと考えて、
結局「物語にしかできない価値」こそが、
ほんとにやるべきことなんじゃない?
っておもうわけ。

刺激物はあくまで誘蛾灯であり、
酒の風味みたいなものよねと。
酒の風味を楽しんでいるうちに、
もっと深い酔いまで到達しないと意味がないよなあ、
などと考えた。


からくりの発見はたのしい。
だけど枯れ尾花だぜ。
自然界の科学的発見はそこから展開できるけど、
誰か作者の用意したパズルを解いただけだと、
それでおしまいなんよな。
パズルの虚しさみたいなことだ。


ちなみにこの手の大どんでん返しものでは、
「ゲーム」「ソウ」「シックスセンス」「アンブレイカブル」
が傑作である。
そのことに意味があるから面白いと思うんだと思う。
それが「からくりパズル」でなくて、
「映画」になってる理由だろう。
その嚆矢「LAコンフィデンシャル」は、
それに比べるとただのびっくり箱だったね。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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