というのが世の中にあると思う。
あれは実はこうだったのでは…?!
こことここがリンクしている…!
というのは一つの脳の興奮であり、
関係性萌えとも通じる、
何かと何かがつながった面白さ、
というのは確実にあると思う。
どんでん返しはその極端なもので、
これまでの関係がぜんぶひっくり返るから、
興奮するんだよね。
ただ、それは物語の根本的な面白さか?
というのはある。
その発見や理解そのものは興奮して、
「おもしろい」という感覚を得るが、
それは一回しかないのよね。
面白い物語というのは、
オチが分かってても面白いわけで、
発見の面白さって、
発見し終わったら終わりなんだよな。
発見を面白く思う構造は、
人類が科学を発展させてきた原動力だろう。
世界を観察して、
AとBが関連するのでは?
その法則はこうでは?
やっぱりそうだったじゃん!
と思うことは、
科学の発展史そのものだ。
だからその興奮刺激は、欲しがられるものの一つであり、
娯楽がそれを提供するのも娯楽の役目であろう。
なんならクイズ番組でもそれは提供できる。
だから、
物語そのもののもつ本来の刺激物かは、
なんともいえない。
おそらく物語の中のそれは、
人間関係や気持ちの発見、
世界の構造や組織に関する発見だろうね。
世界の構造が宇宙規模になるとSFになるのだろう。
それまでは「世界」とは、せいぜい地平線までだろう。
大体4km範囲だってさ。
時速4kmで二時間で踏破できるんだね、この世界。
もちろん、そうした発見の面白さが全くないよりは、
あった方が面白いという刺激はあると思う。
でもそれがメインになると、
どんでん返しコンテストみたいになってしまうだろうね。
90年代のハリウッドスリラーでは、
「自分は死んでた」とか「自分は狂ってた」
などの叙述トリックが流行り、
気づかなかったー!という楽しみを提供したけれど、
で、なんなん?ってなって終わりなのよね。
人の悪意を描いてバッドエンドとか、
逆に善意だったのだ的な、
添え物的な物語であったような記憶がある。
「驚いたやろ!すごいやろ!」
に関してはたしかにそうなのだが、
で?というのが、今や現代だなと感じる。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
でわかる通り、
枯れ尾花になってしまうと、
もうそこには戻ってこないんよな。
一過性の発見娯楽になってしまう。
クイズ番組くらいのコスト感なら別問題をつくれるが、
物語を作るコストにしては、
割の合わないリターンのような気がする。
もちろん、刺激物としては歓迎だろう。
驚きもひとつの娯楽だ。
だけどそれは、娯楽の一つであり、唯一の娯楽ではない。
物語にしかない、
物語の価値とはなんだろう?
僕は、
架空の問題と解決を描くことで、
主人公が生まれ変わり、成長をすることで、
その成長に価値が生まれること、
だと考えている。
その擬似生まれ変わり体験によって、
観客そのものも生まれ変わる=価値の変容をすることが、
物語にしかできないことだと。
同じことは死にそうになった体験とか、
苦労した体験で得られるかも知れないが、
コスパが違うよねと。リスクも負わなくていいし。
つまり、
物語の価値や意義とは、
リスクのない擬似生まれ変わり体験ではないか、
と僕は考えている。
だから、
感情移入と、焦点への興味と、
カタルシスが重要だろうと考えている。
からくりの発見は、
これと共存可能だけど、
からくりの発見そのものは刺激物のひとつに過ぎない、
つまりガワに属するものだと考える。
いうたらエログロと同じ列にならぶものだと。
エログロを下に見ているわけではない。
低俗こそ娯楽であり、低俗を選ぶ権利が我々にはある。
物語が高尚であるというつもりもない。
だけど、
物語にしかできない価値をないがしろにしてまで、
刺激物をならべることは、
物語を分かってないのでは、とすら思ってしまう。
ノウイットオールのことをずっと考えているのだが、
全体としては物語になっていないが、
2章だけは完璧に物語だったんだよね。
終わり方は疑問符ではあったけどさ。
(一応来年のチャンスを得られたことになってるので、
まあ大団円ではあるが)
なぜ歪だと思うのか、じゃあ完璧な形とはなにか、
などと考えて、
結局「物語にしかできない価値」こそが、
ほんとにやるべきことなんじゃない?
っておもうわけ。
刺激物はあくまで誘蛾灯であり、
酒の風味みたいなものよねと。
酒の風味を楽しんでいるうちに、
もっと深い酔いまで到達しないと意味がないよなあ、
などと考えた。
からくりの発見はたのしい。
だけど枯れ尾花だぜ。
自然界の科学的発見はそこから展開できるけど、
誰か作者の用意したパズルを解いただけだと、
それでおしまいなんよな。
パズルの虚しさみたいなことだ。
ちなみにこの手の大どんでん返しものでは、
「ゲーム」「ソウ」「シックスセンス」「アンブレイカブル」
が傑作である。
そのことに意味があるから面白いと思うんだと思う。
それが「からくりパズル」でなくて、
「映画」になってる理由だろう。
その嚆矢「LAコンフィデンシャル」は、
それに比べるとただのびっくり箱だったね。
2023年09月20日
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