2023年11月25日

同じ味の飴は飽きる

どんな新しい味のものでも、
ずっとそれを見ていると飽きる。
それは人間の心理だ。


実のところ、
ストーリーの停滞が悪いわけではない。
ストーリーは停滞することがよくある。
人生と同様だ。
そんなに動きまくることはないし、難しいのだ。
だから停滞すること自体は悪くない。
悪いのは、
「停滞することに飽きる」ことである。

ストーリーの停滞が面白くないのは、
停滞に飽きるからだ。
もしも進展、進展、進展して、
一拍休むために停滞して、
またすぐに進展、進展……と進むならば、
それは必要な休符に見えることだろう。

悪いのは、
進展、進展、ときて、
停滞、停滞、停滞……となってしまうことだろう。
これは飽きる。
進展ならば新しい情報が待っているから、
絵も変わるしムードも変わるし、焦点も変わるだろうが、
停滞は同じ状態、事態、ムード、絵になりがちだ。
それは飽きるよね。


何を何回何分やれば飽きるのか?
について法則はない。
3回やったら飽きるのは確実だが、
2回でも飽きるときは飽きる。
そのへんはほかの刺激との関係性で決まると思われる。


よほど好きならば別だが、
ふつう同じ飴を続けて舐めない。
「ちょっと違うものにするか」ってなる。
自分からチョイスするときですらそうなのだ。
強制される一方的なメディアでは、
同じ味の飴を強制されるのは、すぐに飽きるだろう。


これ、ちょっと前にも舐めた飴だな、とか、
だいぶ前にもあった味だ、とか、
似たような味だから飽きるな、とか、
そういうことに敏感であろう。

リライトしまくって、
色々順番が変わったら、
その関係性がぐちゃぐちゃになって、
気づかないことがまれによくある。

なので、
最初から通しで見て、
同じ味、似たような味になっているところがあるかをチェックすることは重要だ。

飽きてないと作者が思うのに、
実際は観客が飽きているならば、
それは滑っている、ということだぞ。
posted by おおおかとしひこ at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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