ストーリーとは問題とその解決である。
つまり、解決の気持ちよさが決定的に質を決める。
じゃあストーリーとは解決の娯楽だといっても過言ではない。
解決が気持ちよくなるように、
すっきりするように、
つくればいいのだ。
悪人を倒すのがラストにするならば、
その悪人がものすごく悪くて、
倒したらすっきりするようなやりかたで、
裁く瞬間をつくればいいわけだ。
そこに至るには逆算が必要だ。
どういう無理難題をその悪人がふっかけて、
それらをなんとかしてクリアして、
最後の最後に一番難しい難題を持ち込んできて、
それを大逆転するような解決法を、
考えつけばいいだけの事である。
もちろん、それが難しいからみんな悩むんだよな。
でもつねに、
「どう鮮やかに解決させるか」は考えるべきだ。
余計事態が複雑になって困る(コンプレックス)でもいいし、
事態が真逆になる(リバーサル)でもよい。
それらを乗り越えて、
「ついに決着!」がとても面白いような、
娯楽をつくることが、
最終的にはストーリーの目的だといえよう。
つまり、われわれは、
解決という名の娯楽をつくっているといってもよいのだ。
時代劇だって「一件落着!」の娯楽なわけだよね。
そのゴールに向かっていないものや、
そのゴールに必要な道具をうまく楽しませていないものは、
よくないものである、ということが言えよう。
どんなにキャラクターやシチュエーションがよくても、
どんなに展開に期待が持てても、
どんなにギャグに切れ味があって、わくわくする導入だったとしても、
どんなにエモくても、
解決が面白くないものは、大目的として間違っていると思う。
逆に他のすべての要素が、
この解決に向かっているはずで、
そうなっていないのは無駄が多い脚本だと思う。
どんなにおもしろいストーリーでも、
解決がつまらないのは出来の悪いストーリーだ。
ストーリーってなんだろう?
って時々分らなくなることがあるが、
「どういう解決なのか」が、
ストーリーだと思うとよい。
そしたら、解決への軸が一本通るはずだよね。
それがメインプロットと呼ばれるやつだ。
それが弱くて、他より目立っていないものは、
「解決という娯楽」に達していない可能性が高いよね。
たとえば「鬼滅の刃」は、
まったくもって解決が気持ち良くなかった。
戦争というのは気持ちの良い結末などないが、
物語としての解決の気持ちよさは、
全然なかった。
だから、あんな転生学園もので、
お茶を濁した。
それってイデオンから、全く進化してないよ。
「一件落着!」に至る気持ちよさをつくるのは、
だから大変難しいものだといえる。
2023年11月26日
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