2023年11月26日

解決という娯楽

ストーリーとは問題とその解決である。
つまり、解決の気持ちよさが決定的に質を決める。
じゃあストーリーとは解決の娯楽だといっても過言ではない。


解決が気持ちよくなるように、
すっきりするように、
つくればいいのだ。

悪人を倒すのがラストにするならば、
その悪人がものすごく悪くて、
倒したらすっきりするようなやりかたで、
裁く瞬間をつくればいいわけだ。

そこに至るには逆算が必要だ。
どういう無理難題をその悪人がふっかけて、
それらをなんとかしてクリアして、
最後の最後に一番難しい難題を持ち込んできて、
それを大逆転するような解決法を、
考えつけばいいだけの事である。

もちろん、それが難しいからみんな悩むんだよな。

でもつねに、
「どう鮮やかに解決させるか」は考えるべきだ。

余計事態が複雑になって困る(コンプレックス)でもいいし、
事態が真逆になる(リバーサル)でもよい。
それらを乗り越えて、
「ついに決着!」がとても面白いような、
娯楽をつくることが、
最終的にはストーリーの目的だといえよう。

つまり、われわれは、
解決という名の娯楽をつくっているといってもよいのだ。
時代劇だって「一件落着!」の娯楽なわけだよね。


そのゴールに向かっていないものや、
そのゴールに必要な道具をうまく楽しませていないものは、
よくないものである、ということが言えよう。


どんなにキャラクターやシチュエーションがよくても、
どんなに展開に期待が持てても、
どんなにギャグに切れ味があって、わくわくする導入だったとしても、
どんなにエモくても、
解決が面白くないものは、大目的として間違っていると思う。

逆に他のすべての要素が、
この解決に向かっているはずで、
そうなっていないのは無駄が多い脚本だと思う。


どんなにおもしろいストーリーでも、
解決がつまらないのは出来の悪いストーリーだ。

ストーリーってなんだろう?
って時々分らなくなることがあるが、
「どういう解決なのか」が、
ストーリーだと思うとよい。
そしたら、解決への軸が一本通るはずだよね。
それがメインプロットと呼ばれるやつだ。
それが弱くて、他より目立っていないものは、
「解決という娯楽」に達していない可能性が高いよね。


たとえば「鬼滅の刃」は、
まったくもって解決が気持ち良くなかった。
戦争というのは気持ちの良い結末などないが、
物語としての解決の気持ちよさは、
全然なかった。
だから、あんな転生学園もので、
お茶を濁した。
それってイデオンから、全く進化してないよ。

「一件落着!」に至る気持ちよさをつくるのは、
だから大変難しいものだといえる。
posted by おおおかとしひこ at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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