技術体系を知らない人は、
技術をそういう風に考えてるんだな、
ということがわかったので整理しておく。
僕は技術畑の理系である。
プラモやプログラムをつくってきた。
絵を描き、脚本を書き、映像を作る。
すべてに共通するのは、
「ある技術体系を学び、
それらを組み合わせて応用して、
なにかをつくる」
というものだ。
分かりやすいのでプラモにたとえるか。
たとえば筆塗りひとつとっても、
技術が必要だ。
手先が器用であることはもちろんだけど、
左手でパーツを固定する技術も必要だし、
塗料をダマにしない技術も必要だし、
ためらい傷をつくらないように、
一気に塗るために動線を見極める技術もいる。
なんなら失敗のごまかし技術もいろいろある。
そういう細かいものを積み上げて、
都度組み合わせての総合力が、
技術がある、
ということだよね。
また、技術は新しくなるから、
新しいものをキャッチアップする必要もある。
そして技術にはかならず欠点がある。
あることができるということは、
別のことができないということ。
だから、新しい技術だからといって、
完全上位互換などなく、
前の技術のいいところを捨てている可能性がある。
だからそれが使える間は昔の技術だろうと使うし、
それを捨てたら失伝だ。
二度と同じことはできなくなるわけ。
最新の技術をもってしてもね。
こんなことは、
技術を使う人には当たり前なのだが、
どうもそれを知らない人が、
世の中にいることが最近わかってきた。
いや、弊社はプロダクションだから、
誰もがみんな技術者だろうと思っていたが、
どうやらそうではないらしい、
技術でなく人柄だけで渡ってきてる、
技術がないやつがいるぞ、
ということがわかってきたのだ。
彼らは技術を、細かいパーツ分けではなく、
もっとざっくりした便利なものだと思っているようだ。
だから、それを得たら魔法をひとつ覚えて、
何かすごいことができるかのように思ってるみたい。
「使ったことない技術」に対して、
そういう幻想を見ることはよくある。
だけど技術を学べば学ぶほど、
そんな銀の弾丸はないことが分かってくる。
相対性理論ですら、その画期的な理論にも関わらず、
現実社会ではGPSの補正値くらいにしか使われていない。
(もちろん、粒子レベルの物理学やブラックホールなどの巨視的物理では大活躍するが、
所詮人間-地球レベルでは影響が少ない)
銀の弾丸はないからこそ、
一つ一つの技術を学んで、
一つ一つ身につけて、その階段を上がっていくしかない。
ところがそれを経験したことのない人は、
技術をもっと三段跳びとか五段跳びのイメージで見ていて、
しかも、
「組み合わせて積み上げるパーツ」とは思ってなくて、
「それを装備した瞬間なんでも戦える魔法」
と思ってるっぽい。
ここ最近、若いやつに教えるための塾のカリキュラムを作っている。
阿呆な上の人間は、
「それを学ぶことでどんなメリットがあるか、
表にしてくれ」
と言って僕はびっくりした。
おまえ、対角線論法を学ぶことでどんなメリットがあるか、
説明できるのか?
と言おうとして、
そうか、世の中の9割の人間は、
数学を挫折した人たちだなと思い出す。
この技術をひとつ学べば、
最終的にこれが出来るようになるよ!
というのは、
「数学なんて何になるの?」
という単純な問いに答えることになるだろう。
CGをやりたきゃベクトルと行列は絶対だ。
イラレを使いたきゃスプライン曲線のために微分がいる。
ゴールを先に設定しないと技術が必要とわからない人たちは、
「その技術は応用範囲が広く、
100万の用途に使える」
ということを信じられないのだろう。
プラモの筆塗りの技術は、
ちなみに絵を描いたり、書道をするのにも使えるし、
ハサミの工作も同じことだし、
なんなら女を愛撫することにも応用できる。
技術は結果と一対一対応ではない。
それは技術をマスターしてないと、
分からないことなのか。
なるほど、
世の中のバカの原理を少し理解した。
俺はバカが上にいる会社に所属しているのだな。
まあこういうわけだから、
「この映画をつくると、
この観客にひびきます!」
ってバカな企画書が通りやすいんだな。
「この脚本はこういう宣伝をしたらよい」
とわかる技術者がいないわけだ。
2023年09月23日
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