2023年11月30日

新しいリライト部分だけよく見える現象

リライトあるある。


新しくリライトした部分だけよく見える。
なんならそこだけ光って見える。
前から思っていた旧来の部分を更新して、
そこだけよく見えることが、
まれによくある。

だけど、その感覚には、
「新しい部分と古い部分」という、
作者しか分からない感覚で見ている、
ということに気づこう。

街を想像しよう。
昔からある古い家と、
最近建ったばかりの新しい家が混在しているだろう。
繁華街でも新旧の店があるだろう。
それは、あなたが知っているからだ。
もちろんある程度見た目で区別は出来るものの、
「どっちが新しいか、古いか」は、
あまり問題ではない。
「機能するか、しないか」「良いか、悪いか」
でしかないはずだ。

もちろん、新しいものがよりよい可能性が高いが、
しかし古いものが新しいものを凌駕していることもよくある。
つまり、新しさは良さのファクターとしては弱いほうだ。

にもかかわらず、
自分でリライトしたものを見るときに、
「最近直した部分」という色眼鏡をかけてしまうことが、
まれによくあるわけ。

「ああ、ここ直したから安心した」って感覚だ。

これはよくない。
多分、整形してどんどんだめになっていくタイプって、
こういう風に顔面を見ているんじゃないかと思う。
最近手を入れたかどうか、であると。

トータルで機能していて、よいならば、
別に更新したり改造する必要はない。
しかし、
古いからといって不安になったりする、
という心理が、
改造しすぎるとあるのではないだろうか。

まずは、その心理に気づくことだ。

自分は「新しいからよいと思っている」のか、
「新旧関係なく、よいものだけを選んでいる」のかを、
自分の中で判断しておこう。

一番簡単なそのフィルターを外す方法は、
「しばらくその原稿から離れる」である。
半年かかって書いたものだとしたら、
それ以上の期間、たとえば一年寝かせるとよい。
最新部分が一年前で、最古の部分が一年半前だから、
新旧の違いはあまりなく、同じ程度で見れるようになるよ。
そしたら、たかが数日の差とか、数週間のリライト期間の違いとか、
関係なくなってくるからね。

まあそれは極端だ。
でも「畳と女房は新しいほうがよい」なんて感覚があるからね。
古いものはとにかく良くない、
という感覚は、日本人の中に根付いている。
それは、魚や野菜ベースで生きてきた食習慣が関係しているんだろう。
新鮮なほうがよい、という感覚ね。
熟成や醸造、という感覚は、あまりないのかもしれない。
雪深い国だったら、古いものを珍重する文化があるかもしれない。
ウィスキーや漬物とかは寒い国で発達しているからね。

ということで、
新旧が重要なのではない。
良いか悪いかが重要だ。
にもかかわらず、
新旧だけで良さみを判断しがちな、
自分の偏見を取り払うことだ。

そのために、
文字うちして清書すると、
どこがどこかよくわからなくなるので、
リライト時はデジタルベースでやるといいかもしれない。
アナログ原稿だと、どこが最新か、
文字の感じで分かってしまうからね。
切り貼りしていたら、その紙の新しさとかでわかるもんね。
逆にいうと、デジタルはそういう匂いをすべて消臭してしまうから、
魂が入りにくいともいえるな。



フラットに、
前の版、ちょっと前の版、今の版を、
比較してどれがよいか判断することは、
たいへん労力がいる。
ぐったりして夜まで起きてられないくらい疲れることは、よくあることだ。
頭を使うってそういうことだ。
だから、
それから逃げないで、
「新しいからよい」という阿呆な感覚を、
なるべくシャットダウンすることだね。

もちろん、「苦労したからよい」という間違ったフィルターもある。
とかく、「良い」を見極めるのは難しい。
自分の何かが必ず入ってしまう。しかも無意識だ。
いかん、今自分は〇〇フィルターが入っている、
という自覚をすることは、
判断をするうえで大切なことだね。
posted by おおおかとしひこ at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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