2023年12月01日

助走時間

いきなり本題からはいらず、
枕をつけることはとても重要だ。


こういう解説文章はおいといて、
日常文章は、枕からはいるものだ。
天気の話とか、野球の話とか、
最近どうとか、まあどうでもいい感じのことから。

それはなぜかというと、
「静かに聞く態勢」をつくるためだったりするんだよね。
つまり、
「いきなり話してもついてこれない」という性質が、
人間にある、ということだと思うとよい。

集中力はいきなり100にはならない。
最初は30くらいから始まる。
それが80とか100になってから本題に入るべき、
ということだ。

そもそもなぜ30程度なのかというと、
「他にも注意するべきことがある」からだろう。
その作品に100を注ぎこむ前に、
ツイッターをみたり、
飲み物を飲んだり、
腹減ったな、とか思ったりしている、ということだ。

それらを「置いといて」になるまで、
どんなにあっても5分くらいはかかるんじゃないか。
つまり、
最初5分なんて、
人の話を100聞いていないんだよね。

だから最初の最初にとても大事なことはやるべきじゃない。
なんとなく、ぼんやりしているところから始めれはよい。


小説でもよく指導されることだけど、

 俺太郎! 花子が好き!

なんていきなり始めないほうがよいとされる。

 秋の気配がやってきた。夏あれほど暑かったのに、
もうそんなことを忘れている。入道雲が出ているのに、
誰ももうそれを顧みない。
 俺は太郎。花子が好きだ。

なんて風にすこし導入をしておくとよいよ、
ということである。
これの何が効果があるかというと、
「見る側の準備ができる」ということにつきる。

そして、ついでに伏線にしておくといいよ、
ということだ。
これでいうと、秋か夏か入道雲が、
伏線になるに違いない。
「いったん熱くなったものが再燃する」というテーマかも知れない。
それは話によるが、
そうしておくと自然だよね、という話。


枕は、導入の、意味のない部分だ、
ともいわれるし、
意味のない部分に見えて、
実は伏線であった、
というパターンもある。

それはその話による。
伏線だ、と構えさせると、
最初から集中力を要求するので、
それを避けて、
何気ないものからはじめて、
伏線じゃないですよ、暖気運転ですよ、
なんてふりをしておいて、
実は伏線でしたー、
というのが驚きとしてはあるだろうね。

つまり、
枕の使い方のうまい人は、
観客の集中力のことをよくわかっている人だ。

いきなり100ない。
30くらいで、100に上げていく呼吸を、
よく知っているか、ということだ。

それは話し慣れている、ということも大きいし、
人の話を良く分析している、ともいえる。

名作のそうした部分だけを取り出して、
勉強してみてもいいくらいだ。


最近の映画館はそうでもないが、
昔は途中入場する人なんて結構いた。
本題が始まるまではなんとなく枕の部分があって、
まあそれをみなくても集中すれば見れる、
みたいなところがあったよなあ。

そもそも落語の枕だって、
開演時間ちょうどに来ない人のためのものでもある。
よくできた演劇だってそういうことがある。
でも最初から来た人がちょっと得をできるように、
為になる話であるとか、
ちょっとした伏線になっているとか、
そういう生かし方をしてきたのだろう。


最初から飛ばさなくてもよい。
しかし0からスタートしなくてもよい。
人が自分の話を聞くときに、
どれくらいの集中力からスタートするかを考えるとよい。
そもそも自分が人の話を聞くときも、
どれくらいの集中力スタートかを考えれば、
分るかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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