いきなり本題からはいらず、
枕をつけることはとても重要だ。
こういう解説文章はおいといて、
日常文章は、枕からはいるものだ。
天気の話とか、野球の話とか、
最近どうとか、まあどうでもいい感じのことから。
それはなぜかというと、
「静かに聞く態勢」をつくるためだったりするんだよね。
つまり、
「いきなり話してもついてこれない」という性質が、
人間にある、ということだと思うとよい。
集中力はいきなり100にはならない。
最初は30くらいから始まる。
それが80とか100になってから本題に入るべき、
ということだ。
そもそもなぜ30程度なのかというと、
「他にも注意するべきことがある」からだろう。
その作品に100を注ぎこむ前に、
ツイッターをみたり、
飲み物を飲んだり、
腹減ったな、とか思ったりしている、ということだ。
それらを「置いといて」になるまで、
どんなにあっても5分くらいはかかるんじゃないか。
つまり、
最初5分なんて、
人の話を100聞いていないんだよね。
だから最初の最初にとても大事なことはやるべきじゃない。
なんとなく、ぼんやりしているところから始めれはよい。
小説でもよく指導されることだけど、
俺太郎! 花子が好き!
なんていきなり始めないほうがよいとされる。
秋の気配がやってきた。夏あれほど暑かったのに、
もうそんなことを忘れている。入道雲が出ているのに、
誰ももうそれを顧みない。
俺は太郎。花子が好きだ。
なんて風にすこし導入をしておくとよいよ、
ということである。
これの何が効果があるかというと、
「見る側の準備ができる」ということにつきる。
そして、ついでに伏線にしておくといいよ、
ということだ。
これでいうと、秋か夏か入道雲が、
伏線になるに違いない。
「いったん熱くなったものが再燃する」というテーマかも知れない。
それは話によるが、
そうしておくと自然だよね、という話。
枕は、導入の、意味のない部分だ、
ともいわれるし、
意味のない部分に見えて、
実は伏線であった、
というパターンもある。
それはその話による。
伏線だ、と構えさせると、
最初から集中力を要求するので、
それを避けて、
何気ないものからはじめて、
伏線じゃないですよ、暖気運転ですよ、
なんてふりをしておいて、
実は伏線でしたー、
というのが驚きとしてはあるだろうね。
つまり、
枕の使い方のうまい人は、
観客の集中力のことをよくわかっている人だ。
いきなり100ない。
30くらいで、100に上げていく呼吸を、
よく知っているか、ということだ。
それは話し慣れている、ということも大きいし、
人の話を良く分析している、ともいえる。
名作のそうした部分だけを取り出して、
勉強してみてもいいくらいだ。
最近の映画館はそうでもないが、
昔は途中入場する人なんて結構いた。
本題が始まるまではなんとなく枕の部分があって、
まあそれをみなくても集中すれば見れる、
みたいなところがあったよなあ。
そもそも落語の枕だって、
開演時間ちょうどに来ない人のためのものでもある。
よくできた演劇だってそういうことがある。
でも最初から来た人がちょっと得をできるように、
為になる話であるとか、
ちょっとした伏線になっているとか、
そういう生かし方をしてきたのだろう。
最初から飛ばさなくてもよい。
しかし0からスタートしなくてもよい。
人が自分の話を聞くときに、
どれくらいの集中力からスタートするかを考えるとよい。
そもそも自分が人の話を聞くときも、
どれくらいの集中力スタートかを考えれば、
分るかもしれない。
2023年12月01日
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