馬鹿みたいに簡単に書くと、
一分の名作を書く。
書けたら次は、五分の名作を書く。
書けたら次は、十五分の名作を書く。
書けたら次は、三十分の名作を書く。
書けたら次は、六十分の名作を書く。
書けたら次は、二時間の名作を書く。
たったそれだけ。
どこかで脱落しなければ書ける。
ほとんどの人は初手で脱落する。
ああ、いい一分のストーリーを見たなあ、
と言えるものを作れる人は、
なかなかいない。
じゃあどうするか。
できるまで書くのである。
どうしたら書けるか?
というのに正解はない。
なぜなら、
これまでのものと同じものを作るのではなく、
新しいものを作るからだ。
法則や応用などはない。
全く新しいものを作ることは、
新しい法則ごと作るようなものだ。
もちろん過去の成功事例から、
こういうものがよい、悪いなどは分析できる。
しかし新しいものとは、
そこにないものをいう。
それを作らなければならない。
凡人は、
一発で書けない確率の方が高い。
だから100本でも1000本でも書こう。
そのうち、
一分の書き方が分かってくる。
Sクラスを書けるかはおいといて、
まあふつうのBクラスや、
ちょっとええやんというAクラスは、
大体書けるようになってくる。
もちろん調子によるだろう。
で、一回でもSクラスだなと思うものを書けたら、
次の段階へ行ってよい。
次は五分の名作をつくるのだ。
描写も増えるし、
場所や人数も増えるし、
時間的段取りも増やせる。
つまり手数が変わる。
それに慣れながら、
五分の名作ができるまで粘る。
以下同じだ。
少しずつ、書ける範囲を増やしていく。
忍者のトレーニングみたいなことだね。
コツは、何本も何本も書くこと。
沢山書いて沢山捨てること。
(捨てずにとっておいてもよい)
試行錯誤の回数を莫大に積むことだ。
そして評価することだ。
反省して、次に出すものを考えることだ。
このループをひたすら回すと、
そのうちアベレージヒッターになる。
あとは運で名作が出る、
一歩手前の状態をつくるのである。
書いてしまえばとても簡単なことだ。
だけど誰もそんなことを言わない。
だって大変で苦しいからだ。
ほとんどの人は怠惰なので、
「もっと楽してできないか」と思う。
だから、
「こうやるとショートカットできる」とか、
「このテンプレがヒットする」なんてを欲しがる。
だからそういう記事が回り、
情報商材化する。
だけどそれはまちがいだ。
楽したい人につけ込む詐欺なのだ。
どうしたら天才数学者になれますか?
という問いには、
数学を死ぬほどやれ、しかないよね。
それと同じだと思う。
もちろん、壊れてしまってはだめなので、
適宜休みながらやりなさい。
アウトプットよりインプットのほうが多くないと、
そのうち枯渇するだろう。
あるいは、
百万本書いても、上手くならないかも知れない。
修行というのはタイパが悪い。
その時間を能力に変えたものだからね。
修行せずにチートしたい気持ちはわかるよ。
でもすぐにメッキは剥がれるだろう。
人生でたった一本だけ書いて、
以降何も書かないというのなら、
その一本だけ書いておけ。
映画シナリオは、組合的な最低料金は300万円だ。
生涯100本書いて、やっとサラリーマンの生涯賃金ぶんだ。
倍額請求しても50本だぜ。
鍛えて鍛えて、
いつどんなものが来てもサクッと書けるような、
基本的な体力をつけないと、
それをこなし終えることは無理だろう。
労力の割に合わない商売な気がする。
誰でもできる商売でもない気がする。
だけど若いうちに鍛えたシナリオ筋は、
だいぶあとになって体を支えてくれると思う。
三題噺でもプロット百本組み手でもなんでもよい。
名作ができたら次にもう少し長いもので名作を書く。
それでどんどん最長不倒距離を長くしろ。
一時間は書けるけど二時間が書けないなー、
という人はあんまりいない。
これまでの応用で書けるからだ。
もし応用で書けないなら、
経験が少なすぎるので、
一時間ものを何本も書いてみることを勧める。
二時間ものはその応用に過ぎない。
同様に、
三十分が書ければ一時間は書ける。
同様にやって、
一分の名作が書ければ、
その後はすべての応用だ。
応用できないのは、数の経験、
試行錯誤した経験が足りないだけの話。
もっともスパルタなやり方だ。
学問に王道はない。
このやり方で身につけた二時間を書く力があれば、
大体どこででも戦える。
そういう力は、チートじゃ身につかないのよね。
若い時はショートカットしたがるのよ。
それが頭がいいことだってね。
ほんとに頭がいいやつは、
そのいい頭を、試行錯誤時間に全部ぶち込んで、
さらに能力値を上げてくるぞ。
少なくとも東大京大生は、そういう生き方をしてるやつばかりだ。
学問に関してそうならなくてよいが、
シナリオに関してはそうなってる方がいいよね。
とても簡単だけど、
とても難しい道を示した。
ここの脚本論で書いていることは、
つまづき、立ち上がるときに、
僕が学んだことの記録を書いているようなものである。
似たような転び方をして、
似たような立ち上がり方をした人を、
励ましているつもりだ。
2023年11月29日
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