2023年11月29日

二時間の名作の書き方

馬鹿みたいに簡単に書くと、
一分の名作を書く。
書けたら次は、五分の名作を書く。
書けたら次は、十五分の名作を書く。
書けたら次は、三十分の名作を書く。
書けたら次は、六十分の名作を書く。
書けたら次は、二時間の名作を書く。

たったそれだけ。
どこかで脱落しなければ書ける。


ほとんどの人は初手で脱落する。
ああ、いい一分のストーリーを見たなあ、
と言えるものを作れる人は、
なかなかいない。

じゃあどうするか。
できるまで書くのである。

どうしたら書けるか?
というのに正解はない。
なぜなら、
これまでのものと同じものを作るのではなく、
新しいものを作るからだ。

法則や応用などはない。
全く新しいものを作ることは、
新しい法則ごと作るようなものだ。
もちろん過去の成功事例から、
こういうものがよい、悪いなどは分析できる。
しかし新しいものとは、
そこにないものをいう。
それを作らなければならない。

凡人は、
一発で書けない確率の方が高い。
だから100本でも1000本でも書こう。

そのうち、
一分の書き方が分かってくる。
Sクラスを書けるかはおいといて、
まあふつうのBクラスや、
ちょっとええやんというAクラスは、
大体書けるようになってくる。
もちろん調子によるだろう。

で、一回でもSクラスだなと思うものを書けたら、
次の段階へ行ってよい。

次は五分の名作をつくるのだ。

描写も増えるし、
場所や人数も増えるし、
時間的段取りも増やせる。

つまり手数が変わる。
それに慣れながら、
五分の名作ができるまで粘る。

以下同じだ。

少しずつ、書ける範囲を増やしていく。
忍者のトレーニングみたいなことだね。


コツは、何本も何本も書くこと。
沢山書いて沢山捨てること。
(捨てずにとっておいてもよい)

試行錯誤の回数を莫大に積むことだ。
そして評価することだ。
反省して、次に出すものを考えることだ。

このループをひたすら回すと、
そのうちアベレージヒッターになる。

あとは運で名作が出る、
一歩手前の状態をつくるのである。



書いてしまえばとても簡単なことだ。
だけど誰もそんなことを言わない。
だって大変で苦しいからだ。

ほとんどの人は怠惰なので、
「もっと楽してできないか」と思う。
だから、
「こうやるとショートカットできる」とか、
「このテンプレがヒットする」なんてを欲しがる。
だからそういう記事が回り、
情報商材化する。

だけどそれはまちがいだ。
楽したい人につけ込む詐欺なのだ。

どうしたら天才数学者になれますか?
という問いには、
数学を死ぬほどやれ、しかないよね。
それと同じだと思う。


もちろん、壊れてしまってはだめなので、
適宜休みながらやりなさい。
アウトプットよりインプットのほうが多くないと、
そのうち枯渇するだろう。
あるいは、
百万本書いても、上手くならないかも知れない。

修行というのはタイパが悪い。
その時間を能力に変えたものだからね。

修行せずにチートしたい気持ちはわかるよ。
でもすぐにメッキは剥がれるだろう。


人生でたった一本だけ書いて、
以降何も書かないというのなら、
その一本だけ書いておけ。

映画シナリオは、組合的な最低料金は300万円だ。
生涯100本書いて、やっとサラリーマンの生涯賃金ぶんだ。
倍額請求しても50本だぜ。

鍛えて鍛えて、
いつどんなものが来てもサクッと書けるような、
基本的な体力をつけないと、
それをこなし終えることは無理だろう。


労力の割に合わない商売な気がする。
誰でもできる商売でもない気がする。

だけど若いうちに鍛えたシナリオ筋は、
だいぶあとになって体を支えてくれると思う。


三題噺でもプロット百本組み手でもなんでもよい。
名作ができたら次にもう少し長いもので名作を書く。
それでどんどん最長不倒距離を長くしろ。

一時間は書けるけど二時間が書けないなー、
という人はあんまりいない。
これまでの応用で書けるからだ。

もし応用で書けないなら、
経験が少なすぎるので、
一時間ものを何本も書いてみることを勧める。

二時間ものはその応用に過ぎない。

同様に、
三十分が書ければ一時間は書ける。
同様にやって、
一分の名作が書ければ、
その後はすべての応用だ。

応用できないのは、数の経験、
試行錯誤した経験が足りないだけの話。


もっともスパルタなやり方だ。
学問に王道はない。
このやり方で身につけた二時間を書く力があれば、
大体どこででも戦える。
そういう力は、チートじゃ身につかないのよね。

若い時はショートカットしたがるのよ。
それが頭がいいことだってね。
ほんとに頭がいいやつは、
そのいい頭を、試行錯誤時間に全部ぶち込んで、
さらに能力値を上げてくるぞ。
少なくとも東大京大生は、そういう生き方をしてるやつばかりだ。
学問に関してそうならなくてよいが、
シナリオに関してはそうなってる方がいいよね。


とても簡単だけど、
とても難しい道を示した。

ここの脚本論で書いていることは、
つまづき、立ち上がるときに、
僕が学んだことの記録を書いているようなものである。
似たような転び方をして、
似たような立ち上がり方をした人を、
励ましているつもりだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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