創作は創作、普段は別。
自分を書く私小説、
自分を曝け出すYouTube、
振られた時の音楽、
というジャンルもあるけれど。
なんと、サラダ記念日、
ほんとは「カレー味の唐揚げ」だったと、
衝撃の情報が。
この味がいいねと 君が言ったから
7月6日は サラダ記念日 俵万智
この短歌は、
「現代の日常を短歌で詠んでいいんだ!」
と、現代短歌を知らしめた、
ベストセラーの首歌だ。
この感じがとても好きで、
伊藤園俳句もすごく好きだった。
(選者が変わってよくなくなった。
ちなみに一番好きなのは、
「転校を 打ち明けられた 二人乗り」だ)
日常のラブストーリーというか、
エモさというか、
短編映画の味わいというか、
そういうものが詰まってて、
とても好きな短歌だ。
しかしそれは作者のドキュメンタリーではなく、
半分創作であったとは…
うーんたしかに7/6は、
カレー味の唐揚げ食ってガツって行きたくなるよな。
この頃、80年代、
まだカレー味の唐揚げは知られてなかったから、
新レシピとして強力だったろう。
エスニックブームもあったしね。
カレー味の唐揚げ、タイで食ったやつ美味かったしなあ。
さて、
その泥臭い現実を上手にフィルターして、
「サラダ記念日」という、
美しい言葉に昇華したのが、
この創作の創作たる部分なんだなあ。
すげえ嘘つきやで。
ついでに、7/6でもないらしい。
えー。しちがつ、とサラダをS頭韻踏ませるためなんだな。
すげえ嘘つきや。
これがカレー唐揚げの記念日だったら、
さわやかじゃないもんね。
もっとホットな歌になって、
「短歌の世界に新鮮な風をもってくる」
にはならなかっただろう。
たかが「サラダ記念日」という7文字に、
創作の秘密が詰まってるわけだ。
そういえばまだ百人一首関係で調べ物をしてるのだが、
平安時代から、
「○○という設定で詠む」
(たとえば男が女の立場から詠む、
友達の代わりに詠んであげる、など)
べきか、
それとも本人のそのものを詠むか、
で論争があったそうな。
創作など作り物である、日常に現れる真実の瞬間を表現するのだ、
という派閥と、
日常など大したことないから、
それを飛び越えるために大胆に創作すべき、
そしてそれは日常の感覚のフィルターを通るから、
「別の角度から日常を見る」異化効果があるのだ、
という派閥との戦いが、
太古からあるというわけだね。
調べると、白樺派なんかが前者で、
写生なんかはそういう文化、
古今和歌など、平安の和歌は後者だったそうな。
一旦創作系が全盛になり、
それは古いとしてリアリティ重視になった、
という点では、
映像も似たような流れになってるなあ。
ということで、
自分を書くなんてとんでもない。
へえー、きれいな日常ー、と思わせた時点で勝ちなのです。
アイドルやキャバ嬢もそういう商売かも知れないね。
2023年09月25日
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