2023年09月25日

創作は日記ではない

創作は創作、普段は別。

自分を書く私小説、
自分を曝け出すYouTube、
振られた時の音楽、
というジャンルもあるけれど。

なんと、サラダ記念日、
ほんとは「カレー味の唐揚げ」だったと、
衝撃の情報が。


この味がいいねと 君が言ったから
7月6日は サラダ記念日   俵万智

この短歌は、
「現代の日常を短歌で詠んでいいんだ!」
と、現代短歌を知らしめた、
ベストセラーの首歌だ。

この感じがとても好きで、
伊藤園俳句もすごく好きだった。
(選者が変わってよくなくなった。
ちなみに一番好きなのは、
「転校を 打ち明けられた 二人乗り」だ)

日常のラブストーリーというか、
エモさというか、
短編映画の味わいというか、
そういうものが詰まってて、
とても好きな短歌だ。

しかしそれは作者のドキュメンタリーではなく、
半分創作であったとは…


うーんたしかに7/6は、
カレー味の唐揚げ食ってガツって行きたくなるよな。
この頃、80年代、
まだカレー味の唐揚げは知られてなかったから、
新レシピとして強力だったろう。
エスニックブームもあったしね。
カレー味の唐揚げ、タイで食ったやつ美味かったしなあ。

さて、
その泥臭い現実を上手にフィルターして、
「サラダ記念日」という、
美しい言葉に昇華したのが、
この創作の創作たる部分なんだなあ。

すげえ嘘つきやで。

ついでに、7/6でもないらしい。
えー。しちがつ、とサラダをS頭韻踏ませるためなんだな。

すげえ嘘つきや。


これがカレー唐揚げの記念日だったら、
さわやかじゃないもんね。
もっとホットな歌になって、
「短歌の世界に新鮮な風をもってくる」
にはならなかっただろう。
たかが「サラダ記念日」という7文字に、
創作の秘密が詰まってるわけだ。



そういえばまだ百人一首関係で調べ物をしてるのだが、
平安時代から、
「○○という設定で詠む」
(たとえば男が女の立場から詠む、
友達の代わりに詠んであげる、など)
べきか、
それとも本人のそのものを詠むか、
で論争があったそうな。

創作など作り物である、日常に現れる真実の瞬間を表現するのだ、
という派閥と、
日常など大したことないから、
それを飛び越えるために大胆に創作すべき、
そしてそれは日常の感覚のフィルターを通るから、
「別の角度から日常を見る」異化効果があるのだ、
という派閥との戦いが、
太古からあるというわけだね。

調べると、白樺派なんかが前者で、
写生なんかはそういう文化、
古今和歌など、平安の和歌は後者だったそうな。
一旦創作系が全盛になり、
それは古いとしてリアリティ重視になった、
という点では、
映像も似たような流れになってるなあ。


ということで、
自分を書くなんてとんでもない。
へえー、きれいな日常ー、と思わせた時点で勝ちなのです。
アイドルやキャバ嬢もそういう商売かも知れないね。
posted by おおおかとしひこ at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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