2023年12月02日

個人の中の衝動で書ける小説は、三冊まで

とプロ作家が言っていた記事をどこかで読んだ。

ざっくり3冊30万字、シナリオ4万字として7本ぶん。
3つの深い世界と7本のバラエティだとどっちがどっち、
というのもあろう。
経験的にはシナリオでも3本かもな、という感じ。
それだけ、ひとつの世界をひらき、とじるのには人間のぜんぶを使う。


人間のぜんぶ、
という言い方をしたのは、
脳を回す労力、書く体力、という物理的なことだけでなく、
経験値や哲学、知ってる知識、
などをそこに投入すると、
どんどん空っぽになってゆく、
ということを意味する。

「もう書くべきことがない」
と思えるまで、
高々3本くらいでなくなってしまう、
という経験則だ。

嘘だと思うなら書いてみればいい。

書きたかったもの、こんなことを書けば面白いんじゃないか、
というものを、3本書いてみたまえ。

主人公サイドの考えだけではなく、
反対する考えや、中立的な考えや、
少し違う考え方だが半分同意する考えなどの、
絡み合う様を制御して、
最終的には主人公の考え方が正しかった、
あるいはよりよく変化することでよりよくなった、
などの結末まで、3本書いてみたまえ。

もうこれだけで、4つめのバリエーションなんて、
なかなか出てこないと思うよ。
毎回似たようなキャラが出てきてるなら手を抜いてるよね。

あるいは、場所に関するアイデア。
ある肝になる場面は、1本の中にいくつある?
5〜6はあるだろう。
3本もやれば15〜20はストックが消える。

職業は?
詳しく知ってる職業なんてそんなにないよね。
数個でネタは尽きるだろう。
(毎回刑事物とか医療物しか書かない人もいるかもだが)

事件と解決は?
人の興味を惹く事件と、
その鮮やかな解決(どんでん返しなども含む)は、
そうそう何個も出てこないものだ。

これらが、
3本も書くと、
没ネタ、改稿まで含めて、
脳の在庫がすっからかんになるというわけ。


そもそも他のフィクションで見たようなものを、
パターン化して書いてしまうと、
オリジナルじゃないよね。
じゃあ全部オリジナルなものに、
なんてやろうとすると、
かなり消耗すると思うよ。

一人の人間から搾り出せるものは、
せいぜい三本で、あとは出涸らしだそうだ。


じゃあ4本目は書けないか?
となると、
ここからプロとして継続するかどうかの境目で、
「取材をする」ことで産んでいく、
らしい。


空白の自分と、ある世界を取材する体験で、
科学反応を自分の中に起こし、
まだ書けることがある、
新しく書くべきことが増えた、
を蓄積して、抜け殻の自分を復活させるらしい。

何を欲してるかは自分が一番よく知ってて、
自分の中に枯渇したものだろうね。

動機のアイデアがないなら動機だろうし、
事件なら事件だろうし、
経験的エピソードならそうだろう。
リアルに人と会って話せる取材では、
自分の枯渇しているものを、
その話に合わせながら適宜深掘りできるよね。
もちろんある程度はネットでも調べられるけど、
ほんとに作家が欲しいものは、
「その奥にあるもの」だろうし。

そうやって、
最初三本は貯金解放型であったスタイルが、
四本目からは、取材したものを濾すフィルター型になるそうだ。

もちろんパクリ屋になったらダメだよね。
すぐばれる。
まんま使うのもなあ。
うまく自分なりにアレンジして、
より面白くしたっていいんだし。

あとは、
どれだけ質のいい取材ができるかで、
続けられる仕事になっていくらしい。



多くの人は「小説家なんですが話を聞かせてください、
謝礼は払います」というと取材に応じてくれるそう。
小説家からの依頼なんてめったにないしね。
本一冊もってきゃプロの人だーなんて尊敬されるだろう。

脚本家の弱いところはここで、
「脚本家なんですが」というと嘘っぽいんだよなー。
だから僕は「小説家みたいなもので」と脚色を入れることにしている。
印刷台本持ってっても、本としてのテイはなしてない、
やっすい本だしなあ。同人誌のほうがしっかりしてるよな。


つまり、内に籠って書くタイプの小説家のイメージなんて、
実像を知らない人の勝手なもので、
四本目以降の作家は人と会いまくり、資料を調べまくる人なんだよな。

もっとも、三本まで内に籠り、
四本目以降に急に転向しろといわれても無理だから、
徐々にやっていくしかないのだろう。

だけど、
多くの「夢を叶えてプロになった作家の、連続して出せる本数」って、
3なんだってさ。

搾り出してオシマイ、なんだろうね。


出しては蓄積、出しては蓄積、とこまめにやってもいいし、
ガーっと蓄積でもいいけど、
自分は石油田や温泉ではなく、
フィルターだと思うといいんじゃないか。

網を広げた二隻の漁船のようなもので、
ただ広げて待ってても魚はこないから、
ちょっと鳥の集まってるあっちへいってみようと網を張りに行く、
みたいなイメージでも良い。

自分はソースではなくフロウである。
そう思っても良い。

つまりライターなる職業は、
セルフスコッパーではなく、
ハンターアンドフィルターなのだ。


だからライティング初心者に、
「まずは身近な題材で、書きやすい自分のことを」
をやらせるのは悪手なんだよね。
なんでも書かせて成功体験積ませるのは悪くないが、
それが誤った成功体験になる。

ほんとうは、
「面白そうな仕事の人にお話しを聞き、
それを元に短編を作ってみよう」
からやったほうがいいんよな。

宮崎駿が、
「最近の若い奴らはアニメで見たことをアニメでやろうとする」
と怒っていた。
自分の中に詰まってるものを利用するから、
そうなるのだ。
まず面白そうなものを調べること、
それを利用して何かをつくること、
それこそが「書く」ことだと、
誰かが第一歩目で、教えてあげるといいのになあ。

ということで書いてみた。

いまさらおせえ、と言われるかもしれないが、
残りの人生で今日があんたの一番若い日さ。


これを知らないと、
本数を出してもすぐに潰れちゃうだろう。
適度に中身の詰まってない状態になり、
吸収しやすくすることが数出しの目的だが、
何回も百本組み手なんかやったら出涸らしになっちゃう。
その前に取材だね。

年一本出し続けてる小説家とかすげえよな。
よくそんなにネタあるなあって思うよね。
シリーズ化はひとつの延命術だよね。
新しい世界と大テーマを創作しなくて済むからね。
事件とキャラクターと小テーマだけに専念できる。

それは、頭の中から湯水のように湧いてるのではない。
燃料をたくさん探してくべ続けるほうに、
時間を使ってるはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
変わらず読ませて頂いてます。とても腑に落ちる記事内容でした。自分が元々興味があり知識を得ていたものを題材に60分2本、120分2本、なんとかエンドマークまで描ききってコンクールに応募してきました。
1次審査は通り、2次まで行く作品もあるので、さぁ5本目をというところで最近出涸らし感が凄いです。
これはどーしたことか、と少し頭を悩ませてるうちになるほど自分のことをフィルターだと思えば良いのかな? とこの記事を読んで深く腑に落ちました。
Posted by 解無後 at 2023年12月06日 16:08
>解無後さん

そういう風にならないと、
身内をネタに書き始める人が多いですね。
昔は「小説家の周りの人はみんなネタになっている」
と言われたものですね。

なので果敢に興味の出た世界に飛び込んで、
人の話を聞いて、取材してみることを勧めます。
違う世界と関わるチャンスがなかったとしても、
ネットで検索してDM出してみると、
案外取材させてくれるかもしれないですし。
個人を特定できないようにする、社外秘みたいなことは書かない、
謝礼は少なくてもする、
みたいにしておけば向こうも応じやすいと思いますね。
Posted by おおおかとしひこ at 2023年12月06日 16:26
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