とプロ作家が言っていた記事をどこかで読んだ。
ざっくり3冊30万字、シナリオ4万字として7本ぶん。
3つの深い世界と7本のバラエティだとどっちがどっち、
というのもあろう。
経験的にはシナリオでも3本かもな、という感じ。
それだけ、ひとつの世界をひらき、とじるのには人間のぜんぶを使う。
人間のぜんぶ、
という言い方をしたのは、
脳を回す労力、書く体力、という物理的なことだけでなく、
経験値や哲学、知ってる知識、
などをそこに投入すると、
どんどん空っぽになってゆく、
ということを意味する。
「もう書くべきことがない」
と思えるまで、
高々3本くらいでなくなってしまう、
という経験則だ。
嘘だと思うなら書いてみればいい。
書きたかったもの、こんなことを書けば面白いんじゃないか、
というものを、3本書いてみたまえ。
主人公サイドの考えだけではなく、
反対する考えや、中立的な考えや、
少し違う考え方だが半分同意する考えなどの、
絡み合う様を制御して、
最終的には主人公の考え方が正しかった、
あるいはよりよく変化することでよりよくなった、
などの結末まで、3本書いてみたまえ。
もうこれだけで、4つめのバリエーションなんて、
なかなか出てこないと思うよ。
毎回似たようなキャラが出てきてるなら手を抜いてるよね。
あるいは、場所に関するアイデア。
ある肝になる場面は、1本の中にいくつある?
5〜6はあるだろう。
3本もやれば15〜20はストックが消える。
職業は?
詳しく知ってる職業なんてそんなにないよね。
数個でネタは尽きるだろう。
(毎回刑事物とか医療物しか書かない人もいるかもだが)
事件と解決は?
人の興味を惹く事件と、
その鮮やかな解決(どんでん返しなども含む)は、
そうそう何個も出てこないものだ。
これらが、
3本も書くと、
没ネタ、改稿まで含めて、
脳の在庫がすっからかんになるというわけ。
そもそも他のフィクションで見たようなものを、
パターン化して書いてしまうと、
オリジナルじゃないよね。
じゃあ全部オリジナルなものに、
なんてやろうとすると、
かなり消耗すると思うよ。
一人の人間から搾り出せるものは、
せいぜい三本で、あとは出涸らしだそうだ。
じゃあ4本目は書けないか?
となると、
ここからプロとして継続するかどうかの境目で、
「取材をする」ことで産んでいく、
らしい。
空白の自分と、ある世界を取材する体験で、
科学反応を自分の中に起こし、
まだ書けることがある、
新しく書くべきことが増えた、
を蓄積して、抜け殻の自分を復活させるらしい。
何を欲してるかは自分が一番よく知ってて、
自分の中に枯渇したものだろうね。
動機のアイデアがないなら動機だろうし、
事件なら事件だろうし、
経験的エピソードならそうだろう。
リアルに人と会って話せる取材では、
自分の枯渇しているものを、
その話に合わせながら適宜深掘りできるよね。
もちろんある程度はネットでも調べられるけど、
ほんとに作家が欲しいものは、
「その奥にあるもの」だろうし。
そうやって、
最初三本は貯金解放型であったスタイルが、
四本目からは、取材したものを濾すフィルター型になるそうだ。
もちろんパクリ屋になったらダメだよね。
すぐばれる。
まんま使うのもなあ。
うまく自分なりにアレンジして、
より面白くしたっていいんだし。
あとは、
どれだけ質のいい取材ができるかで、
続けられる仕事になっていくらしい。
多くの人は「小説家なんですが話を聞かせてください、
謝礼は払います」というと取材に応じてくれるそう。
小説家からの依頼なんてめったにないしね。
本一冊もってきゃプロの人だーなんて尊敬されるだろう。
脚本家の弱いところはここで、
「脚本家なんですが」というと嘘っぽいんだよなー。
だから僕は「小説家みたいなもので」と脚色を入れることにしている。
印刷台本持ってっても、本としてのテイはなしてない、
やっすい本だしなあ。同人誌のほうがしっかりしてるよな。
つまり、内に籠って書くタイプの小説家のイメージなんて、
実像を知らない人の勝手なもので、
四本目以降の作家は人と会いまくり、資料を調べまくる人なんだよな。
もっとも、三本まで内に籠り、
四本目以降に急に転向しろといわれても無理だから、
徐々にやっていくしかないのだろう。
だけど、
多くの「夢を叶えてプロになった作家の、連続して出せる本数」って、
3なんだってさ。
搾り出してオシマイ、なんだろうね。
出しては蓄積、出しては蓄積、とこまめにやってもいいし、
ガーっと蓄積でもいいけど、
自分は石油田や温泉ではなく、
フィルターだと思うといいんじゃないか。
網を広げた二隻の漁船のようなもので、
ただ広げて待ってても魚はこないから、
ちょっと鳥の集まってるあっちへいってみようと網を張りに行く、
みたいなイメージでも良い。
自分はソースではなくフロウである。
そう思っても良い。
つまりライターなる職業は、
セルフスコッパーではなく、
ハンターアンドフィルターなのだ。
だからライティング初心者に、
「まずは身近な題材で、書きやすい自分のことを」
をやらせるのは悪手なんだよね。
なんでも書かせて成功体験積ませるのは悪くないが、
それが誤った成功体験になる。
ほんとうは、
「面白そうな仕事の人にお話しを聞き、
それを元に短編を作ってみよう」
からやったほうがいいんよな。
宮崎駿が、
「最近の若い奴らはアニメで見たことをアニメでやろうとする」
と怒っていた。
自分の中に詰まってるものを利用するから、
そうなるのだ。
まず面白そうなものを調べること、
それを利用して何かをつくること、
それこそが「書く」ことだと、
誰かが第一歩目で、教えてあげるといいのになあ。
ということで書いてみた。
いまさらおせえ、と言われるかもしれないが、
残りの人生で今日があんたの一番若い日さ。
これを知らないと、
本数を出してもすぐに潰れちゃうだろう。
適度に中身の詰まってない状態になり、
吸収しやすくすることが数出しの目的だが、
何回も百本組み手なんかやったら出涸らしになっちゃう。
その前に取材だね。
年一本出し続けてる小説家とかすげえよな。
よくそんなにネタあるなあって思うよね。
シリーズ化はひとつの延命術だよね。
新しい世界と大テーマを創作しなくて済むからね。
事件とキャラクターと小テーマだけに専念できる。
それは、頭の中から湯水のように湧いてるのではない。
燃料をたくさん探してくべ続けるほうに、
時間を使ってるはずだ。
2023年12月02日
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1次審査は通り、2次まで行く作品もあるので、さぁ5本目をというところで最近出涸らし感が凄いです。
これはどーしたことか、と少し頭を悩ませてるうちになるほど自分のことをフィルターだと思えば良いのかな? とこの記事を読んで深く腑に落ちました。
そういう風にならないと、
身内をネタに書き始める人が多いですね。
昔は「小説家の周りの人はみんなネタになっている」
と言われたものですね。
なので果敢に興味の出た世界に飛び込んで、
人の話を聞いて、取材してみることを勧めます。
違う世界と関わるチャンスがなかったとしても、
ネットで検索してDM出してみると、
案外取材させてくれるかもしれないですし。
個人を特定できないようにする、社外秘みたいなことは書かない、
謝礼は少なくてもする、
みたいにしておけば向こうも応じやすいと思いますね。