2023年09月29日

物語という省略

物語は現実ではない。
現実に起こることをある程度誇張省略して、
整理しなおしたものだ。

だけど、
現実にはほとんど見ない、フィクションではよくあるものを見て、
それが現実にもよくあることだと思ってしまう過誤がある。


たとえば、
「ハリウッド映画では、タクシーを使ったチェイスのときに、
タクシー料金を払わないか、お札を適当に握って渡して釣りは確認しない」
という暗黙の表現がある。
現実では手間のかかるところを、
ババっと省略して本題にのめりこませるためだ。

こればかり見て、
「アメリカの刑事はタクシー料金を払わない」
「アメリカの刑事はタクシー料金をアバウトに多めに出すバカ」
と思い込むのは、
フィクションの見過ぎというものだろう。

物語と現実は違う。
違うのに同じだと思わせるのが物語で、
そういう注意書きが必要な子供には、
物語は親がついて指導してあげるべきだ。



https://x.com/MIKITO_777/status/1707537802706272373?s=20
科学的に間違ったことをやられては、
科学を商売になさってる方は困るだろう。
これは我々フィクションの者も気を引き締めるべき。

知りたいのは、
・液体状のもので布に染み込ませて嗅がせると気絶するような、
 クロロホルム以外の何かはあるのか?
 (三日履いた親父の靴下、くさやの原液などにその効果は?)
かもね。

まあでもそんなものが存在して、
それを手に入れられると犯罪に簡単に使われるため、
科学的立場の人も非常に困るだろう。
ということは、
「そういう架空のものがある」ということにしておいて、
目をつぶるのが賢い判断かも知れないねえ。

同様に「首筋に手刀、鳩尾にパンチ」もある。
引用部では頸動脈締めを例示してるけど、
活法出来ない人がいる中での落としは非常に危険だし、
そもそも素人だと力で締めようとして色々痛めそうだから、
この手の知識開示も有段者なら慎むべき。


そもそも、武術の技で「気絶」を目的としたものはほぼないんじゃないか。
一時的戦闘不能に陥ればいいわけだから、
激痛で悶絶でも、ノックアウト状態でも、
投げられて痛みで動けないでも、指折れたでも、目が潰れたでも、
なんでもいいんだよな。
むしろ「生かしたまま気絶で無傷」のほうが難しいのでは。


こうしたリアリティは、
安易に真似されると危険があるため、
「架空の技があり、話を進めるための話法のひとつ」
と大人の対応をするのがいいんじゃないか。
広い意味の漫符であると。

ピアノ弾ける人が、
「絶対この人ピアノ弾いてない」
というくらい野暮だし、
ピアノと少し次元の違う話になるからね。

あくまでフィクションは、
現実を誇張して圧縮したものなんだよなあ。

それを、
「偏見や誤解を助長する」というなら、
フィクションから離れればいいんだよ。

フィクションに文句ばかり言った先には、
リアルしか受け入れられない、
ポリコレだらけの、
多様性配慮したがゆえに「ふつう」が描けなくなってしまった、
いまのどんづまりハリウッドになるぜ。

ハリウッドの場合映画は国策だから、
税金の使い道くらいに抗議があるだろう。
だけど日本の物語は民間の娯楽じゃないか。


手塚治虫が「ブラックジャックの手術法は、
現代医療にはない」と大学生に突っ込まれた時、
「大学生にもなって現実と漫画の区別もつかないのか」
と説教したそうだが、
まあそういうことさ。
大学生が勝ってれば、名作「ブラックジャック」は潰された。
だから漫画はリアルな絵じゃないほうがいいのだ。
漫画ですよーという記号であれるからね。


「子供の頃はクロロホルムで誘拐できると思ってた」
「大人になってから知ったんだけどフィクションって嘘なんだって」
が両立するような世界を目指したいね。
posted by おおおかとしひこ at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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