2023年12月03日

ガワの機能

ラベリング。


三つ子が生まれたとしよう。
微妙に異なる外見、微妙に異なる性格があったとしても、
色違いの何かをつけて、区別をするに違いない。
大きくなるにつれて、
パッと見違いが分かるようになっても、
まだなお誰が誰かわかるようなものを、
たとえば鞄の色とか、制服のリボンやネクタイの色とかで、
区別できるようにしておくと思う。
これは自分たち(親)用の為、というよりは、
親しくない世間が区別できるように、
間違わないため、
という配慮であるような気がする。
つまり「キャラを立てる」ことの一環であると。
キャラが立てば、目立つ、つまり間違えられにくい。

詳しく見れば違いが分かるようなものから、
パッと見で違いが分り、
それをきっかけにより深く区別できるような、
きっかけづくりにするわけである。

全員がそうするとは限らない。
人の親にはいろいろな都合がある。

しかし、作品である場合は別だ。
頭の中で考えることだから、
都合など作り替えればよいのである。

キャラが立って、悪いことなどひとつもない。

そして、なぜガワでキャラ立てをするか、というと、
中身で区別がつきづらいものでも、
ガワで区別を先につけやすくしておこうぜ、
ということなのだ。

仮に中身がめちゃくちゃ区別がつき、
立ちまくっているものだとしても、
なおガワで区別がつくようにキャラが立っていたら、
もうバキバキによくなるよね。
ガワは中身のあいまいさをごまかしているやつじゃねえぜ、
相乗効果狙いだ、
って戦略を感じ取れるじゃない?

だから、
どちらにせよ、
ガワでキャラを立てておいたほうがいいんだよね。

もちろん、
ガワでしか区別できていない愚を避けるために、
最初からガワでキャラ立てしないほうがいい。
親もどっちか分からないのにリボンの色だけ変えられてもね。

だからきっちり中身の区別ができるようになるまで、
じっくり練ったあとに、
ガワでガンガン差別化していくと、
驚くほど彫りが深くなるぜ、
という相乗効果を言おうとしている。


なんでもいいんだ。服。ちょっとした風景。
しぐさ。口癖。
出来れば具体的なエピソード。
どんなことをやっても、
それらがイコンとなり、
中身の区別のシンボルとなるだろう。
無色透明だった世界に色が付き、色彩になりはじめる。

もちろん、ガワも微細な違いでなく、
相乗効果を狙うならば、
強烈にセンスのよいキャラ立てがあるべきだ。
いい色の組み合わせはいい響きを生むからね。


結果、両輪になる。
posted by おおおかとしひこ at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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