姿勢の研究のつづき。
膝上テントシステムを、
バビロンの上に載せれば、
ピアノ式のテントが出来るな、
と思ってやってみた。
たしかにかつてのバビロンよりも、
テント型ピアノ打鍵法のほうが打ちやすく、
より全身を使った打鍵法になるから、
身体の疲労は軽減されることが期待される。
(持ち運びはあとで考えるとして…)
で、
ここまでやって、
「普通に机の上にキーボードを置いて、
普通に打ってみる」ことと比較する。
疲労のことは置いておくと、
こっちのほうが「書いてる」感覚になる。
山形バビロンのピアノ式は、
どちらかというと「歌っている」感覚になる。
格好による連想?
いや、違うな。
まず「歌う」という感覚は、
全身を使う感覚だ。
ピアノ式は「固定するところがない」。
だから全身リラックスして、
武術的身体になれる。
武術的姿勢さえ正しければ、最も効率が良い。
しかしそれは、
足元から頭の先まで、
全身の筋肉を使わないといけない、
という逆の義務をもたらす。
ちゃんと歌わないと全身から響かない、
みたいに、
ちゃんと打たないと打ったことにならない、
みたいな、「全身義務」が発生するんだよね。
歌うことは、堂々とした行為だ。
正しいことを朗々と歌う。
ところが、「書く」行為の本質は、
こうした明朗正義ではないような気がしたんだよ。
もっと「裏道の行為」のような気がした。
もっとアンダーグラウンドな、
ゲリラで、後ろ暗い行為な気がする。
手が固定され、
姿勢もよろしくないのだが、
その身体的不自由こそが、
「書く」という脳の自由を作ってる感じ。
「歌う」は、明るく、伸び伸びすぎて、
隠れる場所がない。
「書く」というのは、
何かの壁に隠れて、不自由からスタートする。
机の上に手を置き、
そもそも不自由をつくることが、
実は「書く」の本質なのでは?
なんてことを思ってしまった。
もちろん、後ろ暗いピアノとかもあるのかもだけど、
僕には高度すぎる。
だとしたら、
手っ取り早く、机の上がいい気がしてきた。
書く負荷を下げることで、
エルゴノミクスを追求してきた旅は、
究極のエルゴノミクスを得て、
「それはいらない」
という判断になりました。
えー…
あとは「後ろ暗い姿勢で、楽すること」
を考えるとしたら、
アームレスト方向かなあ。
「腕や手を机につけてると安心する」
という無意識は、
浮いてることよりも大事なのではないだろうか。
2023年10月04日
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