2023年10月04日

【薙刀式】書くという行為と、歌うという行為

姿勢の研究のつづき。


膝上テントシステムを、
バビロンの上に載せれば、
ピアノ式のテントが出来るな、
と思ってやってみた。

たしかにかつてのバビロンよりも、
テント型ピアノ打鍵法のほうが打ちやすく、
より全身を使った打鍵法になるから、
身体の疲労は軽減されることが期待される。
(持ち運びはあとで考えるとして…)


で、
ここまでやって、
「普通に机の上にキーボードを置いて、
普通に打ってみる」ことと比較する。

疲労のことは置いておくと、
こっちのほうが「書いてる」感覚になる。

山形バビロンのピアノ式は、
どちらかというと「歌っている」感覚になる。


格好による連想?
いや、違うな。

まず「歌う」という感覚は、
全身を使う感覚だ。
ピアノ式は「固定するところがない」。

だから全身リラックスして、
武術的身体になれる。
武術的姿勢さえ正しければ、最も効率が良い。
しかしそれは、
足元から頭の先まで、
全身の筋肉を使わないといけない、
という逆の義務をもたらす。

ちゃんと歌わないと全身から響かない、
みたいに、
ちゃんと打たないと打ったことにならない、
みたいな、「全身義務」が発生するんだよね。

歌うことは、堂々とした行為だ。
正しいことを朗々と歌う。


ところが、「書く」行為の本質は、
こうした明朗正義ではないような気がしたんだよ。
もっと「裏道の行為」のような気がした。
もっとアンダーグラウンドな、
ゲリラで、後ろ暗い行為な気がする。

手が固定され、
姿勢もよろしくないのだが、
その身体的不自由こそが、
「書く」という脳の自由を作ってる感じ。

「歌う」は、明るく、伸び伸びすぎて、
隠れる場所がない。
「書く」というのは、
何かの壁に隠れて、不自由からスタートする。

机の上に手を置き、
そもそも不自由をつくることが、
実は「書く」の本質なのでは?
なんてことを思ってしまった。



もちろん、後ろ暗いピアノとかもあるのかもだけど、
僕には高度すぎる。
だとしたら、
手っ取り早く、机の上がいい気がしてきた。


書く負荷を下げることで、
エルゴノミクスを追求してきた旅は、
究極のエルゴノミクスを得て、
「それはいらない」
という判断になりました。

えー…



あとは「後ろ暗い姿勢で、楽すること」
を考えるとしたら、
アームレスト方向かなあ。

「腕や手を机につけてると安心する」
という無意識は、
浮いてることよりも大事なのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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